日本を代表する圧巻の技術・鉱山遺跡群

明治中期以降、佐渡の鉱山技術は西洋の技術を学んだ日本人技師によって引き継つがれ、発展していった。その西洋技術を学んだ1人に、大島高任という技師・鉱山学者がいる。

大島は1885年、佐渡鉱山が工部省の管轄だった時代に、佐渡鉱山局長に任命された。その名は佐渡にとどまらず、故郷・岩手の日本最古の製鉄所である新日鐵釜石をはじめ各地の鉱業・製鉄業を支え、「日本近代製鉄の父」ともいわれている。

佐渡鉱山では1887年、東京帝国大学教授だった渡辺渡も、大島に呼ばれ技師として佐渡・相川へ赴任してきた。佐渡鉱山に日本で初めて架空索道(ロープウェー)を設置した人物として知られる。

巨大なコロシアムのように……

巨大な宇宙船基地のようにも思える50m級シックナー

現在、鉱山町・相川の山手にある北沢地区に佐渡鉱山の産業遺産が多く残されている。なかでも、泥状にした鉱石を沈殿させて分離する50メートルシックナーは圧巻だ。1938年に30メートル級2基と50メートル級1基のシックナーがつくられたが、いまは50メートルシックナー1基だけが北沢浮遊選鉱場跡と火力発電所の対岸に、まるで巨大なコロシアムのようにアーチを広げている。

佐渡鉱山の製錬法は、明治初期、水銀を金銀に結びつかせて回収する混澒法という製錬法が導入された。そして、明治後期になると、青酸化合物に金を溶かして回収する青化製錬法が主流になったという。その後、昭和初期には金銀を回収したあとの搾りかすなどを浮遊剤と混ぜ合わせ、泡と一緒に浮き上がった細かい金銀まで回収する方法が開発された。それが浮遊選鉱法である。50メートルシックナーは、その浮遊選鉱法が活躍した時代の遺産であろう。

鉱山町・相川の古い街並・京町通りも歩いてみよう。往時は鉱山にも相川の街にも時を知らせた時鐘から京町通りを奥に緩やかに登り、眼下に日本海を見下ろす高台に、一風変わった施設がある。

旧相川拘置支所。1954年に新潟刑務所相川拘置支所として開設され、拘置所施設として1972年まで使用された建物だ。木造平屋建て、鉄格子がはめ込まれた独特かつ質素な造りは、醸し出す静けさはいかにも刑務所の趣がある。中に入ると、歴史に名を残す刑務所独特の張りつめた空気を感じるはずだ。