高度成長期に観光業に進出

その後、太平鉱業は1952年に三菱金属鉱業に社名を変更する。そして1962年、三菱金属鉱業は佐渡鉱山の宗太夫坑を観光坑道として観光業を始めた。観光業に鞍替えし始めたのは、金や銀など鉱物の採掘の限界がヒタヒタと静かに忍び寄ってきていた時期かもしれない。

佐渡金山・宗太夫坑口。金山は佐渡の主要観光地の1つ

三菱金属鉱業が始めた観光業は、採掘の限界と裏腹に軌道に乗っていった。そして1970年、新たに観光会社が設立された。その名も株式会社ゴールデン佐渡。金山であるから当然の社名だが、いかにも高度成長期の昇り調子を彷彿させる。ただ、創業当時は観光業とは別に、鉱山運営は佐渡鉱山という組織が担っていた。そして、佐渡鉱山は1973年に佐渡金山株式会社として独立した。会社組織での経営となったわけだ。

1989年、その佐渡金山(株)に大きな転機が訪れた。400年近く続いた採掘操業を中止したのである。佐渡金山というと、江戸期に繁栄した金山というイメージが強いが、遠い過去ではない平成に入るまで、また、バブル景気に湧く頃まで、株式会社として永々と操業は続けられていた。記録されているだけでも、78トンの金と2,330トンの銀を産出したという。

1970年に創業したゴールデン佐渡は、佐渡金山(株)の採掘操業の中止に合わせて同社を吸収合併する。他の鉱山でも廃鉱と同時に人員の受け皿会社をつくる例はあるようだが、ゴールデン佐渡にもその一面はあっただろう。そして、佐渡鉱山は名実ともにゴールデン佐渡が観光事業として運営することになった。