合併の歴史を紡ぐ西日本鉄道の前身5社

西鉄電車/福岡市内線507号

⑴九州電気軌道

九州電気軌道は、1908年12月の門司電気鉄道による八幡馬車鉄道への特許の譲渡によって設立した。社長には神戸の川崎造船社長の松方幸次郎が就任し、資本金は100万円であった。1909年に大阪電灯門司支店、小倉電灯を買収して電灯・電力供給事業を開始し、1910年には八幡電灯も合併した。鉄道事業では、1911年に門司~黒崎間24kmを開業し、北部九州の諸都市の産業化にともなって増加した労働者や都市住民を運んだ。

その後、1912年7月に大門~戸畑間5.5lm、1914年4月には門司市内の東本町~門司間0.3km、同年6月には黒崎駅前~折尾間5.2km、29年11月には戸畑幸町~八幡中央区間4.8kmを開業した。さらに、5社合併直前の1942年2月に、小倉市香春口~北方間を営業区域とする小倉電気軌道を合併している。

⑵九州鉄道

九州電灯の重役であった伊丹弥太郎、松永安左エ門、田中徳次郎、原庫次郎らは、1915年10月に筑紫電気鉄道を設立した。資本金は150万円で、二日市~太宰府間の太宰府軌道と連絡して、福岡からの太宰府天満宮への参拝客の輸送を目的としていた。1919年6月に二日市~久留米間の免許を得たが、その後計画を大牟田~熊本間の都市間輸送に変更し、1922年2月に資本金を650万円とし、社名も九州鉄道と変更した。

1924年4月には福岡~久留米間38.8kmが開通し、同年6月に太宰府軌道、37年6月に大川軌道(柳河~大牟田間)を合併した。福岡~大牟田間の全線が開通したのは1939年7月であった。

⑶博多湾鉄道汽船

1900年2月、糟屋炭田で掘り出される海軍用の石炭を西戸崎港から呉・阪神方面に積み出すことを目的とする博多湾鉄道汽船の創立総会が開かれた。発起人は、東京8名、大阪2名、福岡5名で、在京の発起人の中には岩谷松平(呉服太物・煙草販売)、福原有信(資生堂創業者)などの財界人や原口要、山田寅吉など鉄道にかかわる土木技術者がいた。そして、1904年1月に西戸崎~須恵間21.2km、06年12月には新原~宇美間1.2kmが開業した。

1920年3月には船積業・海運業を兼業することになり、社名を博多湾鉄道汽船と改めた。1924年1月、福間~津屋崎間3.8kmで宮地嶽神社詣でや海水浴客を輸送していた津屋崎軌道を買収し、同年5月には新博多~和白間10.8kmを開業した。そして、1925年7月には和白~宮地嶽間12.2kmが非電化で開業し、29年8月には新博多~宮地嶽間が電化された。

⑷福博電車

福博電車は、1908年10月に福沢桃介・松永安左エ門ら22を発起人とし、糠屋郡箱崎町~早良郡西新町~同郡姪浜町間の軌道敷設の特許を申請した福博電気鉄道を母体とする。申請時には762mm軌間であったが、同年12月に特許を得た時点では1067mm軌間となり、社名も福博電気軌道と変更した。

福博電気軌道は、1910年3月には大学前~黒門橋間、博多停車場前~呉服町間5.8kmを開業した。そして、その後1910年8月に箱崎口~箱崎間、11年3月に地行~今川橋間を開業し、8.2kmにわたる市街縦貫線を完成させた。

1911年5月には、博多電灯に合併され、博多電灯軌道と改称した。さらに、翌1912年6月には九州電気、13年には佐世保電気、唐津軌道、七山水力電気、大諫電灯、糸島電灯、15年には津屋崎電灯、宗像電気を合併し、九州電灯鉄道は、福岡・佐賀・長崎の3県にまたがる大電力会社となった。その後、1922年6月に福沢桃介の経営する関西電力と合併し、東邦電力と社名を変更した。

1910年3月には渡邉與八郎らを発起人とする博多電気軌道が、資本金150万円をもって設立された。同年10月には博多電気軌道は北筑鉄道を買収したが、二代社長の渡邉與八郎が死去すると経営が悪化し、1912年11月に九州水力電気に合併された。1929年1月には軌道部門を切り離し、博多電気軌道に譲渡した。そして、1934年10月には東邦電力の軌道部門と博多電気軌道が合併して福博電車が設立された。資本金は300万円、同年11月から営業を開始した。

⑸筑前参宮鉄道

1915年4月、勝田、宇美で産出される石炭の輸送と筥崎・宇美両八幡宮への参詣客の輸送を目的に、筑前参宮鉄道の設立が計画された。1916年6月に創立総会が開かれ、資本金は30万円で、河内卯兵衛が専務取締役となった。1919年5月に吉塚を起点に上亀山、新志免、新宇美を経て筑前勝田に至る全線が開通した。筑前参宮鉄道は、石炭輸送を目的としながらも、社名が示すように沿線の香椎・筥﨑両官幣大社、宇美八幡宮などの参詣客の輸送も目的としていた。

1927年8月には筑前参宮自動車を設立し、同年9月からは乗合自動車営業を開始した。その後も乗合自動車事業を拡大し、1937年5月には福岡市から放射状に延びる新ルートを開設した。

こうして生まれたのが西日本鉄道、西鉄である。5社統合は1942年、第二次世界大戦のさなかに行われた。北部九州における5社統合にも、戦局は大きな影響を及ぼすこととなる。(つづく)

文:老川 慶喜(跡見学園女子大学教授・立教大学名誉教授)