「若者の街」「住んでみたい街」「芸人が多く住む街」「サブカルの聖地」…。東京・中野はさまざまな代名詞で語られることが多いが、街のランドマークといえば、「中野サンプラザ」で決まりだろう。地上20階建てで、高さ大小二つの三角積木を合わせて置いたような特徴的なデザインの建物。コンサート会場として全国区の知名度を誇る中野サンプラザの去就が改めて今注目されている。

新中野区長が再開発計画に“待った”

中野サンプラザはJR中央線中野駅の北口を出てすぐのところにあり、駅周辺の街づくりを左右する立地にある、地元の中野区は、取り壊したうえで隣接する区役所庁舎などと一体的に再開発して1万人収容のアリーナを整備する計画を進めてきたが、先の区長選で現職を破って初当選した酒井直人新区長が計画に待ったをかけた。今後、検証委員会を立ち上げ、2018年度中に見直しを含めて方向性を出す予定としている。ただ、「音楽の殿堂」「中野のシンボル」として存続を望む音楽ファン、区民の声は根強く、意見集約のハードルは高そうだ。

もっとも中野サンプラザの解体を含む駅周辺再開プロジェクトは急に持ち上がったわけではない。10年ほど前に基本方針が示され、段階的に整備計画が検討されてきた。目標スケジュールとして、2018年度に再整備事業計画策定、2023年度に新区庁舎完成、2027年度にアリーナなど多目的施設の完成を掲げている。

こうした再開発計画が6月初めに行われた区長選で争点の一つとなり、中野サンプラザの存廃問題が再燃。立候補した4氏のうち、現職以外の3氏は「存続」や「名前や建物の形を何らかの形で継承する」などと訴えた。酒井新区長は「一度立ち止まりたい」として再考する考えを表明した。

開業から45年、区が2004年から運営主体に

中野サンプラザは秋に第1次オイルショックが起きる直前の1973年6月に開業し、今年で45年となる。元々の正式名称は全国勤労青少年会館。旧労働省(現厚生労働省)系独立行政法人の雇用・能力開発機構が所有していたが、勤労者福祉施設の合理化の一環として売却が検討された。抜群の立地を背景に経営状態が良好だったことから、2004年に区と地元金融機関、企業などが共同出資で設立した第3セクターのまちづくり中野21が53億円で買収。その4年後の2008年、区はまちづくり中野21の全株式を取得し完全子会社した。

コンサート会場のイメージが強い中野サンプラザだが、宿泊(ホテル)から、ウエディング、レストラン、宴会、会議・研修、ボウリング場まで備えるマルチ施設。

〇2017年の音楽公演状況(中野区資料から)

ジャンル年間公演回数
ポップス(日本人) 119日
ポップス(外国人) 13日
アニメ関連 20日
演歌・歌謡曲 24日
その他 22日
合計 198日

その跡地を中心とする再開発計画によると、1万人収容可能なアリーナとともに、業務・商業・ホテル・住宅などの多機能複合施設を民間活力を活用して整備する。音楽・アートなどのカルチャーと観るスポーツの融合をコンセプトに、劇場型、体育館型双方の利点を取り入れるとしている。

建築遺産としての価値は?

現在の中野サンプラザをそのまま残すことは再開発計画全体の中で困難とみられるが、落としどころを探るとすれば、外観の一部を保存するといった“代替措置“が考えられる。ただ、その場合、建築遺産としての歴史的価値の有無が判断基準となりそうだ。さて、どういう結論が導かれるのだろうか。

「サブカルの聖地」とされる中野ブロードウェイの入り口

文:M&A Online編集部