勝沼に集積する葡萄産業遺産

第2次大戦期、葡萄、酒石酸という音波探信儀の材料、いわば兵器の原材料となり、果物・食品、お酒としての葡萄、ワインは冬の時代を迎えた。だが、その一大生産地である勝沼には数多くの葡萄園が軒ならぬ畑を並べ、多くの行楽客を迎えている。

そして、その国産ワイン誕生の歴史は宮崎光太郎の生家・自宅を保存・修復した宮光園のほか、隣接するメルシャン資料館でも知ることができる。

勝沼・宮光園の向かいにあるメルシャン資料館。

宮崎光太郎亡きあと、宮光園を支えたのは、光太郎の娘と結婚した松本三良という人物である。メルシャンの運営するワイン資料館は、もともと宮崎がつくった第2醸造所であった。

そして、宮崎が熱望した中央線。その陸運を支えた鉄路が延びていた旧深沢トンネルは、いま、甲州市の勝沼ぶどうの丘が運営するトンネルワインカーヴ(ワインセラー)となっている。

高野が記した3つの説

明治期に開通した中央線の旧深沢トンネルは、トンネルカーヴに

では、国産ワインの黎明期に活躍した土屋龍憲と高野正誠はどうなったのか。土屋は宮崎と共同の醸造所をつくることから離れ、独自に勝沼に新しい醸造所をつくった。それが現在は「まるき葡萄酒」となっている。ワイナリーの設立としては宮崎の第1醸造所より1年早く、日本最古のワイナリーとされている。

高野は、大日本山梨葡萄酒会社の醸造人として同社の解散を見届け、その4年後の1890年、1冊の本を記した。

『葡萄三説』。三説とは「葡萄園開設」「栽培」「醸酒」のことを示し、その本には、高野が土屋とフランスにワイン留学に赴いた際の研究報告のほか、甲府において葡萄産業を発展させる意義・手法などが記してある。

取材・文:M&A Online編集部