当時、ワイン、葡萄の一大消費地であった東京への輸送に鉄道はなく、特に大量輸送ともなると、山梨の産品は富士川を下り駿河湾から東京に運ぶ海運に頼っていた。「笹子峠を越える鉄道が敷設できれば、もっと早く、大量に葡萄やワインなどの商品を東京に送り込める」。商才に長けた宮崎には、そんな野心もあったのだろう。
その願いが叶い、1903年に東京・甲府間に中央線が開通した。そして、直後の1904年、宮崎は勝沼に第2醸造所を建設し、量産体制を敷いた...
佐渡鉱山の観光を担うゴールデン佐渡は1970年に操業した。同じ佐渡の採掘を担う佐渡金山を、その操業停止とともに吸収合併し、2006年には秋田県鹿角市の尾去沢鉱山を吸収合併する。近代鉱山史における“もう一つの顔”、M&Aの歴史を歩く。
埼玉県熊谷市、国道17号線沿いのイオン熊谷店の敷地の一角に、「片倉シルク記念館」がある。片倉工業が保有していた熊谷工場の繭倉庫を活かした企業博物館だ。実は片倉工業は世界文化遺産・富岡製糸場の最後のオーナーだった。その期間は60余年にわたる。