秩父木材工業の台頭

現在の赤沢吊橋。渓流釣りを楽しむ人や登山者も訪れる

話を東京大学演習林軌道に戻そう。1930年代、関東水電の二瀬(秩父湖)発電所建設のための資材運搬用の軌道は、奥秩運輸組合という組織に譲渡された。

そして東京大学は入川線を現在の赤沢吊橋に向けて延伸するとともに、関東木材が敷設した初期の軌道に対してM&Aを行った。その後、1950年代に関東木材は東大演習林からの林産物の入札から離れるようになり、代わって秩父木材工業という会社が独占的に林産物を卸すようになった。

このように東京大学演習林軌道の維持管理の主役・脇役が入れ替わるなかで動き出したのは、昭和初期に関東水電の発電所建設のための資材運搬用の軌道を関東水電から譲り受けた奥秩運輸組合である。同組合は、発電所建設のための軌道を秩父木材工業に譲渡することになった。

上流の水利権をめぐる開発の手段という重要な役割も担っていた森林軌道が、「木材を運ぶトロッコ列車」にその道を譲ったということになるだろうか。

1960年代に西武が乗り出す

東京大学演習林軌道は、演習林からの林産物とともに秩父木材工業が維持管理するようになった。ところが、その秩父木材工業に対して、1950年代後半に復興社という会社がM&Aを行った。復興社とは西武鉄道傘下の企業で、1941年に東京耐火建材として設立され、1946年に復興社に商号を変更。そして、1961年に西武建設に商号を変更した経緯がある。

1960年代に、東京大学演習林軌道の維持管理、運営に関東私鉄の雄・西武鉄道が乗り出したのである。

重要な「地の利」

現在も残る軌道跡。古の鉄道探索を楽しむ人もやってくる

ときを経て1980年代になり、東京大学演習林軌道にとって新たな転機が訪れた。森林軌道そのものは1969年に全線が廃止されている。だが1980年代に入り、入川線の奥、現在の赤沢吊橋の周辺に発電所取水工事を行う際に、その資材を運搬するために東京大学演習林軌道跡を利用することが決まったのである。もちろん完全復活とはいえないが、補修すべきところを補修し、軌道跡を再運用することが決まった。そして、その運用にともなう軌道改修工事は地元秩父市影森に本社を置く三国建設という会社が担うことになった。

1983年に改修工事は完了し、1984年に三国建設による運用は終了することになる。あくまで素人判断になるが、この時期、資材運搬用の軌道整備を超えて、より観光的見地に立って軌道を敷設し直し、さらにトロッコを走らせることができれば、その軌道は今日のエコツーリズムの一翼を担う可能性も秘めていたのではないだろうか。

三国建設は秩父市で50年以上にわたり、山間土木を中心として吊橋、山道の整備、伐採などの特殊な技術を培ってきた。現在は建設工事、森林整備、施設の維持管理業務のほか、生コンの製造販売なども行う地場の有力企業となっている。

また、別会社として、秩父市大滝地区で「ウッドルーフ奥秩父オートキャンプ場」のほか、かつての東京大学演習林軌道の起点近くの入川地区で「トラウトオン‼ 入川観光釣場」というアウトドア施設も経営している。

現在、入川から奥に軌道跡を歩くと、朽ちた鉄路や枕木、石積みや橋脚など、往時を偲ぶものが数多く残っている。その軌道跡は東大をはじめさまざまな大学・機関の研究の場であるとともに、奥秩父の山に入る登山者、渓流釣りを楽しむ人にも親しまれている。

文:M&A Online編集部