山代温泉へ移窯された吉田屋は名工たちの技を結集し、量産体制を敷いた。日用品と芸術観賞品、その両輪を駆動し、名声は一挙に高まった。そして、宮本屋窯、藩営の九谷本窯、九谷陶器会社などへ経営主体を変えながらも引き継がれ、100年以上のときを重ね、山代温泉の吉田屋窯は1940年に新窯を築いて廃窯となった。
大聖寺勢・加賀勢はともに隆盛を極め、明治期以降の九谷焼は日本の主要輸出産品の1つになり、1873年にはウィーン万博にも出品され、好評を博した...
野田は伝統産業の醤油づくりを支えるため、早くから金融が発達した町として知られる。その一つが1900年に地元の醤油醸造家らが創立した野田商誘銀行である。野田ではその後、地元の醸造家らが大合同を果たす。それがキッコーマンという巨大企業になった。