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【古九谷・再興九谷・新九谷】盛衰のラビリンス|産業遺産のM&A

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斬新なデザインの九谷セラミック・ラボラトリー。設計は2020年東京五輪「国立競技場」の設計を担当した隈研吾氏

再興九谷から新九谷(現代九谷)へ

山代温泉へ移窯された吉田屋は名工たちの技を結集し、量産体制を敷いた。日用品と芸術観賞品、その両輪を駆動し、名声は一挙に高まった。そして、宮本屋窯、藩営の九谷本窯、九谷陶器会社などへ経営主体を変えながらも引き継がれ、100年以上のときを重ね、山代温泉の吉田屋窯は1940年に新窯を築いて廃窯となった。

大聖寺勢・加賀勢はともに隆盛を極め、明治期以降の九谷焼は日本の主要輸出産品の1つになり、1873年にはウィーン万博にも出品され、好評を博した...

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