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【古九谷・再興九谷・新九谷】盛衰のラビリンス|産業遺産のM&A

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斬新なデザインの九谷セラミック・ラボラトリー。設計は2020年東京五輪「国立競技場」の設計を担当した隈研吾氏

突如、生まれた「再興九谷」

古九谷は17世紀後半には廃窯となった。だが、その80〜100年後の19世紀前半、突如といってもいいくらいに加賀地方一帯に多くの窯がつくられ、九谷焼を名乗り始めた。これらの窯から生まれた製品を、一般に「再興九谷」と呼んでいる。

現在も九谷焼において重要な花坂の岩石
(九谷セラミック・ラボラトリー)

再興の舞台は大聖寺藩から北の加賀藩に移る。加賀藩は殖産振興のために金沢・卯辰山に春日山窯を開き、磁器の生産を始めた。その春日山窯の陶工であった本多貞吉が、19世紀初頭に能美郡花坂村(現小松市花坂町)で良質の「花坂陶石」を発見する...

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