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【近畿日本鉄道】小さく生まれ“最長”に育った私鉄の雄(後編)

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信貴生駒電鉄、三重電気鉄道の合併で路線“網”に進化

1964年10月、近鉄は信貴生駒電鉄を合併した。合併比率は1:1で、近鉄は信貴生駒電鉄の資本金と同額の4880万円を増資した。信貴生駒電鉄は、1919年12月に信貴生駒電気鉄道として設立され、信貴山朝護孫子寺への参拝の便をはかるとともに、奈良盆地を縦断する地方交通機関として発展してきた。

信貴生駒電鉄は、戦時期の1941年4月に近鉄の前身会社である関西急行鉄道の傘下に入り、戦後の1961年10月には、1925年4月に大阪電気軌道の傘下に入った大和鉄道を合併していた。1955年頃から高度経済成長が始まり、沿線開発も活発していくが、信貴生駒電鉄の規模では十分に対応できないとして、近鉄が同社と協議をして経営の一元化をはかったのである。

1965年4月、近鉄は三重電気鉄道を合併した。合併比率は1:1で、近鉄は三重電気鉄道の資本金に相当する4億5000万円の増資を行った。1944年2月、三重県内の交通事業者が戦時交通統制によって合同し、三重交通が誕生した。三重交通は、愛知県から和歌山県にいたるバス事業と、三重県内の鉄道事業を営んでいた。鉄道事業は、近鉄の名古屋線や山田線の支線的な役割をはたしていた。

そのため、近鉄と三重交通は1961年11月に三重県内における交通網の整備をどのように促進していくかについて協議し、近鉄が鉄道、三重交通がバスを担当するという基本方針を定めた。三重交通は、1964年1月に三重電気鉄道を設立して鉄道部門の事業を譲渡し、翌65年4月に近鉄が三重電気鉄道を合併したのである。

文:老川 慶喜(跡見学園女子大学教授・立教大学名誉教授)

老川 慶喜 (おいかわ・よしのぶ)

跡見学園女子大学観光コミュニティ学部教授。 1950年、埼玉県生まれ。

立教大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。経済学博士。専門は交通史、鉄道史。 現在、跡見学園女子大学観光コミュニティ学部教授、立教大学名誉教授。1983年、鉄道史学会設立に参加、理事・評議員・会長などを歴任。

近著に、『鉄道と観光の近現代史』 (河出ブックス)、『日本の企業家 5 小林一三 都市型第三次産業の先駆的創造者』 (PHP経営叢書)、『日本鉄道史 大正・昭和戦前篇 - 日露戦争後から敗戦まで』 (中公新書)など


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