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【近畿日本鉄道】小さく生まれ“最長”に育った私鉄の雄(後編)

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京都、奈良、大阪、伊勢志摩の橋頭堡・奈良電気鉄道の合併

高度経済成長期の資本統合を見ていこう。近鉄は、1963年10月に、奈良電気鉄道を合併した。1964年10月には第18回オリンピック東京大会が開催され、東海道新幹線が開業するので、ちょうどその1年前ということになる。

奈良電気鉄道は、1925年5月に設立され、28年11月に京都~西大寺間の運輸営業を開始した。奈良電気鉄道には、近鉄の前身会社である大阪電気軌道が設立当初から資本参加し、相互乗り入れなどを実施してきた。しかし、奈良電気鉄道の経営基盤は弱く、沿線開発も進んでいなかった。1953年の台風による被害、54年の国鉄奈良線のディーゼル化などの影響により経営が悪化し、59年には株主への配当も無配に転じた。

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この頃から近鉄は、奈良電気鉄道の合併を考えるようになった。近鉄は、個人株主からも積極的に株式を買い集め、1961年9月には奈良電気鉄道の株式の過半数を保有し、62年4月には京阪電鉄が所有する奈良電気鉄道の株式をすべて譲り受けた。近鉄は、奈良電気鉄道の鉄道施設全般にわたる改善に協力し、業務上ほとんど一体となった。

しかし、沿線開発を本格化するには経営を一元化する必要があると考え、近鉄は1963年10月に奈良電気鉄道を合併した。合併比率は1:1で、近鉄は奈良電気鉄道の資本金と同額の3億8000万円の増資を行った。奈良電気鉄道の京都~西大寺間は「京都線」となって、京都と奈良、大阪、伊勢志摩を結ぶ観光路線となった。前年には東海道新幹線が開業していたので、新幹線の乗客を近鉄沿線の観光名所に誘致する上で大きな利点を発揮した。

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