外資系金融機関を知るシリーズの第14回はフランスを本拠とするクレディ・アグリコルです。19世紀末、農業系金融機関としてスタートしましたが、第二次大戦後は次第に一般金融機関化し、インドスエズ銀行、クレディ・リヨネ(いずれもフランス)との大型合併を経て、世界的な金融グループに成長を遂げました。日本では銀行、証券を通じて事業法人、金融法人を対象に金融商品・サービスを提供するほか、銀行窓販に特化した生命保険事業を展開しています。

クレディ・アグリコルは世界50カ国以上に進出し、5200万の顧客を抱えます。米S&Pグローバル・マーケット・インテリジェンスが毎年まとめている直近の「世界の銀行ランキング」によると、総資産は2兆1200億円で世界10位に位置し、欧州では英HSBC(香港上海銀行)、仏BNPパリバに続きます。

インドシナ銀行時代の1936年  横浜に拠点

同じフランス勢のBNPパリバ、ソシエテ・ジェネラルはともに幕末期から日本とかかわりを持ちます。これに対し、クレディ・アグリコルの日本との歴史は、前身行の一つ、インドシナ銀行(仏領インドシナの植民地銀行)が1936(昭11)年に横浜駐在員事務所を開設したことに始まります。戦後は1949年、そのインドシナ銀行が支店を開設した。実は、日本が民間貿易を再開するのに合わせ、第1陣で日本進出が許可された外国銀行9行のうちの1行。ただ、クレディ・アグリコルの名前が表に出るのは後述のように1990年代からです。

どういうことでしょうか。クレディ・アグリコルの生い立ちや合併の変遷によるところが大きいのです。

農業系金融機関から世界的プレーヤーに

農業系金融機関としてのクレディ・アグリコルは1894年に根拠法が成立したのに合わせて誕生。フランス全土に広がる系統の協同組合銀行を束ねる中央組織として規模を拡大してきました。日本でいえば、さしずめ農林中央金庫に相当します。法律では当初、組合員資格は農業生産者とその団体に限定されていましたが、制度緩和とともに様々な業界や個人も利用できるようになりました。一般金融機関化です。1966年には初めて海外進出し、米シカゴに支店を開設しました。

東京支店を持つインドシナ銀行は1982年、同じフランス植民地銀行のスエズ銀行と合併し、インドスエズ銀行となりました。そして1996年、今度はクレディ・アグリコル銀行がインドスエズ銀行と合併し「クレディ・アグリコル・インドスエズ銀行」が発足。これによって、日本での銀行名に初めてクレディ・アグリコルが登場したのでした。

2004年には、クレディ・リヨネとの合併に伴い、グループの総称を「カリヨン」に変更。そして2010年、「カリヨン」から「クレディ・アグリコル」に再度変更し、今日にいたります。

沿革 (太字は日本での出来事)
1894 農業系金融機関として、クレディ・アグリコルに関する根拠法が成立
1936 インドシナ銀行(前身行の一つ)が横浜駐在員事務所を開設
1949 インドシナ銀行東京支店を開設
1966 クレディ・アグリコル銀行として、米シカゴに初の海外支店
1982 インドシナ銀行とスエズ銀行が合併し、インドスエズ銀行に
1987 クレディ・リヨネ証券(現クレディ・アグリコル証券)東京支店を開設
1996 インドスエズ銀行と合併し、クレディ・アグリコル・インドスエズ銀行が発足
2003 仏大手銀行のクレディ・リヨネを買収
2004 クレディ・リヨネを合併し、グループの総称を「カリヨン」とする
2006 クレディ・アグリコル生命保険を日本に設立
2010 「カリヨン」から「クレディ・アグリコル」に商号変更。これに伴い、銀行、証券の在日支店名も「クレディ・アグリコル」に
資産運用会社のクレディ・アグリコル・アセットマネジメントとソシエテジェネラル・アセットメントが合併し、「アムンディ・ジャパン」に