米国ノースカロライナ州シャーロットに本社を置くバンク・オブ・アメリカ(取締役会会長兼最高経営責任者:ブライアン・T・モイニハン)。日本では“バンカメ”という愛称で呼ばれることもよくあります。銀行名が示すとおり米国を代表する金融機関であり、全米50州すべて、さらに世界35カ国以上で事業を展開するグローバルな金融グループです。
米国の金融史のみならず、社会的な出来事として大きな影響をもたらしたのは、「ノースハリウッド銀行強盗事件」です。1997年2月、バンク・オブ・アメリカのノースハリウッド支店に2人組の銀行強盗が押し入り、ロサンゼルス市警と全米最大といわれる銃撃戦が繰り広げられました。約44分、2000発近い銃弾が乱射された強盗事件はテレビでも生中継され、米国内の銃器の所持・取扱いの是非に関しても大きな見直しが迫られました。
その事件をもとにしたのが、マイケル・マドセン主演の『44MINUTES:THE NORTH HOLLYWOOD SHOOT-OUT(邦題『44ミニッツ』)。ドキュメンタリー・タッチで描いたクライム・アクション映画として大きな反響を呼びました。
金融史上の大きな出来事としては、リーマンショックの直後、2009年に行われたメリルリンチの救済を目的とした合併です。総額500億ドルともいわれた巨大金融機関同士の大型M&Aにより、バンク・オブ・アメリカは全米のみならず、世界最大級の金融グループとなったのです。
バンク・オブ・アメリカ・グループの歴史は230年以上前にさかのぼります。母体となったマサチューセッツ・バンクが業務を始めたのは1784年7月。アメリカ合衆国憲法が制定されたのが1787年、ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任したのが1789年ですから、当時の新興国アメリカにとって、その国家体制の樹立以前に銀行類似の業務をスタートさせていたことになります。当時のマサチューセッツ・バンクの業務は、誤解を恐れずにいうと、日本でいえば明治政府樹立以前の両替商のほか、民間の無尽・頼母子のような存在であったのかもしれません。
マサチューセッツ・バンクはのちに州知事に認定され、マサチューセッツ州で2番目、全米で3つ目の商業銀行として営業を開始します。その後、数多のM&Aを重ねて現在のバンク・オブ・アメリカができ上がっていくわけです。
バンク・オブ・アメリカはもちろんのこと、金融機関というものは現在の姿が完成形とはいえません。今後は非金融系の事業会社の動きも活発になっています。今後はそうした動きも巻き込みながら、まさにトルネードのように世界を席巻していくでしょう。
では、日本におけるバンク・オブ・アメリカは? 日本ではバンク・オブ・アメリカ・エヌ・エイ東京支店として東京・日本橋に拠点を置いています。バンク・オブ・アメリカの日本支店はメリルリンチ日本証券の本社でもあります。
バンク・オブ・アメリカ・エヌ・エイ東京支店の創業は第2次大戦直後の1947年。日本国憲法が施行された年です。現在は国際的に事業を展開する日本企業や外国法人の日本拠点を対象に、円・外貨の口座開設、送金、信用供与、外国為替、貿易金融、バンクノート業務などの金融商品・サービスを提供しています。また、顧客企業が新興国へ進出する際の金融商品・サービスの提供なども進めています。
その東京支店の動向を下表にまとめておきます(同支店ホームページより)。
年月 | 沿革 | |
---|---|---|
1947年 11月 |
東京支店開設 | |
1949年 12月 |
銀行業免許取得外国為替業務開始認可取得 | |
1952年 7月 |
日本で初めてインパクトローン(280万米ドル)を日本の海運会社へ導入 | |
1986年 12月 |
特別国際金融取引勘定開設の承認 | |
1992年 4月 |
セキュリティ・パシフィック・ナショナル・バンク東京支店の営業譲渡認可 | |
1999年 7月 |
ネーションズ・バンク・エヌ・エイとの合併の届出 | |
2009年 1月 |
メリルリンチをバンク・オブ・アメリカ・コーポレーションの傘下として買収 | |
2010年 4月 |
外国銀行代理業認可取得 |
日本におけるトビックスとしては、2017年の上場廃止も特記しておくべきことの1つ。その理由は日経新聞によると「株式の取引量が少なく、日本語での開示資料の作成業務や年間上場料などが負担」であるとのこと。株式による資金調達とは別の調達手法にウエートを置きつつあるということができるのかもしれません。