「ノリタケの森」は洋食器メーカーとして世界的に知られるノリタケカンパニーリミテドが創業100周年を記念し、2001年に開設した企業文化施設だ。広大な敷地に旧製陶工場施設などが並ぶ。その光景は、まさに日本陶業の格と質の高さを感じさせる。
高野山口周辺に、江戸・明治・昭和初期にかけて「再織」という手法で栄えたものの、やがて潰え、そして平成、令和に向けて復活を遂げた伝統産業がある。高野口パイル織物だ。起死回生にはどんな対応があったのか。地場中小事業者の伝統と革新の道筋を見る。
東京大学は日本国内に7つの地方演習林を所有している。最も古くに開設され、総面積5812ヘクタールを擁するのが秩父演習林である。演習林内にはいくつかの森林軌道が敷かれ、往時には大活躍していた。今回はその森林軌道をめぐるM&Aを見ていく。
山梨県・勝沼、国産ワイン発祥地に、若い3人の男がいた。宮崎光太郎、土屋龍憲、高野正誠。宮崎は日本初の国産ワイン産業をスタートさせた大日本山梨葡萄酒会社の設立発起人。土屋と高野はその大日本山梨葡萄酒会社がワイン留学に送り出した人物だった。
佐渡鉱山の観光を担うゴールデン佐渡は1970年に操業した。同じ佐渡の採掘を担う佐渡金山を、その操業停止とともに吸収合併し、2006年には秋田県鹿角市の尾去沢鉱山を吸収合併する。近代鉱山史における“もう一つの顔”、M&Aの歴史を歩く。
色絵磁器として国内はもちろんのこと海外でもつとに有名な石川県の伝統工芸「九谷焼」。その歴史は幾度かの栄枯盛衰を重ね、また分派も行われ、いわば数多くの経営統合や分散を経て現在に至る産業技術遺産といえる。その産業技術史を綾を振り返ってみた。
野田は伝統産業の醤油づくりを支えるため、早くから金融が発達した町として知られる。その一つが1900年に地元の醤油醸造家らが創立した野田商誘銀行である。野田ではその後、地元の醸造家らが大合同を果たす。それがキッコーマンという巨大企業になった。
岩の原葡萄園は「日本のワインぶどうの父」と呼ばれた井上善兵衛が郷土の越後高田(現新潟県上越市)に創業した葡萄園。そのぶどう園が国産ワイン発祥の地のようにいわれたりもするが、甲州ワインの先達、各ワイン会社の系譜も入り乱れ、その話は複雑だ。
1974年2月24日、滋賀県近江八幡市に本社を置く近江兄弟社が会社更生法を申請し主力商品のメンソレータムはロート製薬に譲渡された。その後、数多くの建造物を遺した創業者ヴォーリズの遺志を継いで同社は復興を果たす。
愛知県知多半島にある半田赤レンガ建物は半田市のランドマークともいえる建造物。文化庁登録有形文化財、経産省認定近代化産業遺産に指定された半田市指定景観重要建造物の第1号でもある。東海地区を代表する産業遺産だが、実は数奇な運命をたどってきた。