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​【JR東日本・JR北海道】資本統合の可能性を探る(前編)

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中村昌寛

JR体制30年、鉄道は復権したのか?

人気を博していた寝台特急カシオペア

第2臨調の分割民営化構想をより具体化させた国鉄再建監理委員会の最終答申『国鉄改革に関する意見』(1980年7月)には、「鉄道の未来を拓くために」というサブタイトルが付されていた。同答申のねらいは、鉄道の復権をはかることにあったのである。そこで、JR体制の30年で鉄道の復権がなされたのかどうかを検証してみたい。

2017年3月25日発売の『週刊ダイヤモンド』は、末期の国鉄とJR7社の経営を比較し、「民営化30年の功罪」を検討している。それによれば、売上高は3.2兆円(運輸収入、1986年)から6.8兆円(売上高・連結、2015年)に増加し、単年度損益では1.8兆円の赤字(経常損失、1985年)が1.1兆円の黒字(経常利益・連結、2015年)へと著しい改善をみせ、負債は37.1兆円(負債総額、1987年4月)から6.5兆円(有利子負債・連結、2016年3月)へと大幅に減少した。そして、1986~97年度には年平均約6,000億円の補助金を国や自治体から受けていたのに対し、2013年度には約4,100億円(連結)を納税するまでになった。

かつて27万7,000人もいた職員(1986年4月)は13万人(単体7社合計、2016年4月)の社員となり、生産性は1,155万円(職員1人あたりの収入、1986年)から3,739万円(社員1人あたりの収入、単体・7社平均、2015年)となった。社員(職員)1人当たりの生産性は、3.2倍に増加したのである。

こうしてみると、かつて国家財政に大きな負担をかけていた国鉄は、JRという生産性の高い優良企業に生まれ変わり、国家財政に大きく寄与するようになったかにみえる。

しかし、それによって、日本の鉄道は復権したといえるのであろうか。JR貨物をのぞく旅客6社の営業キロの変化をみてみよう。1988年の営業キロは2万935.9kmであったが、2014年度には2万22kmとなり、この間に913.9kmほど短くなっている。営業キロをもっとも短縮したのはJR北海道の720.6kmで、つぎはJR西日本の199.4kmであった。この間、北陸新幹線、九州新幹線、東北新幹線、北海道新幹線の開業や延伸によって新幹線の営業キロは伸びたが、在来線の営業キロは1万7700kmまで短縮したのである。

ついで、JR旅客6社の輸送人キロの推移をみると、JR体制発足後、1990年代半ばまでは増加していた。1991年度版の『運輸白書』は、これを旅客6社による列車の増発やスピードアップなど、「国鉄改革の趣旨に沿った営業努力、経営の活性化」によるものと国鉄の分割民営化の意義を高く評価していた。しかし、旅客輸送量は分割民営化前の1980年代前半から増加傾向にあったので、景気拡大の追い風に助けられて輸送実績を伸ばしたとみるのが自然である。事実、1990年代半ばから景気が下降局面に入ると、JR6社の輸送人キロは伸び悩むようになった。

なお、1988年度から2014年度までのJR各社の輸送人キロの伸び率をみると、JR東海(31.3%)、JR東日本(18.5%)、JR西日本(16.3%)、JR九州(15.6%)が増加となっている。JR九州は、1996年に86億8,700万人キロを記録してからは減少に転じるが、2011年度以降再び増加に転じている。一方で、JR四国は発足以来減少傾向にあり、1988~2014年度の減少率は34.3%であった。JR北海道も1992年度までは輸送人キロが増加するが、以後は減少に転じ、1988~2014年度の減少率は5.2%となった。

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