大宮 知信

大宮 知信 (おおみや・とものぶ) ジャーナリスト

ジャーナリスト

1948年 茨城県生まれ。ジャーナリスト。政治、教育、社会問題など幅広い分野で取材、執筆活動をつづける。主著に『ひとりビジネス』『スキャンダル戦後美術史』(以上、平凡社新書)、『さよなら、東大』(文藝春秋)、『デカセーギ─漂流する日系ブラジル人』『お騒がせ贋作事件簿』(以上、草思社)、『「金の卵」転職流浪記』(ポプラ社)などがある。 

最新の記事

難聴者向けバリアフリースピーカーで起業  元IT営業マンの転身(中)

難聴者向けバリアフリースピーカーで起業 元IT営業マンの転身(中)

サウンドファンの佐藤和則社長は「ミライスピーカーは音のエネルギーが普通のスピーカーの3倍ぐらいあるため難聴の高齢者でも聞こえることが分かってきた」という。このためミライスピーカーは証券会社、銀行、空港などで拡声器として使われ始めてきた。

記事を読む
難聴者向けバリアフリースピーカーで起業  元IT営業マンの転身(上)

難聴者向けバリアフリースピーカーで起業 元IT営業マンの転身(上)

サウンドファンの佐藤和則社長は、難聴の高齢者は蓄音機の音が聞きやすいことを知り、バリアフリースピーカーへの活用を思いついた。試作機を作り、重度の加齢性難聴で補聴器を使っていた父親に聞かせたところ「非常によく聞こえる」ことが分かった。

記事を読む
電気三輪自動車を開発した元レーサーのベンチャー・スピリット 日本エレクトライク(下)

電気三輪自動車を開発した元レーサーのベンチャー・スピリット 日本エレクトライク(下)

三輪電気自動車は人件費の高い日本で生産するのを断念し、中国かインドで作って、その土地で走らせ、自動車の地産地消を目指す方針。現在の価格は160万円で、それほど高くはないが、海外での量産効果によってさらに価格を引き下げる。

記事を読む
電気三輪自動車を開発した元レーサーのベンチャー・スピリット 日本エレクトライク(中)

電気三輪自動車を開発した元レーサーのベンチャー・スピリット 日本エレクトライク(中)

松波さんが設立した日本エレクトライクは、日本で16番目の自動車メーカー。エレクト(電気)とライク(三輪車)を合わせた社名が示すように、商品はEVのオート三輪車。家庭用100ボルト電源で充電可能で、1回の充電で約60キロ走行する。

記事を読む
電気三輪自動車を開発した元レーサーのベンチャー・スピリット 日本エレクトライク(上)

電気三輪自動車を開発した元レーサーのベンチャー・スピリット 日本エレクトライク(上)

還暦になったのを機に、電気自動車の開発を始めた人がいる。神奈川・川崎のベンチャー起業家・松波登さん(69)だ。 EV車の開発を進めるベンチャー企業「日本エレクトライク」を10年前に設立した。

記事を読む
元ゼネコン社員の三段跳び人生 家業の洋品店を洋食店に大改造(下)

元ゼネコン社員の三段跳び人生 家業の洋品店を洋食店に大改造(下)

黒船亭社長の須賀光一さんは建設会社からアパレル業界へ、さらに飲食店経営という三段跳び人生の感想について「お前には無理と言われたけど、新しいことにチャレンジするのは楽しいですよ」とほほ笑む。黒船は今後も平穏な航海が続くかのか、創業者としては今が勝負の時かも知れない。

記事を読む
元ゼネコン社員の三段跳び人生 家業の洋品店を洋食店に大改造(中)

元ゼネコン社員の三段跳び人生 家業の洋品店を洋食店に大改造(中)

黒船亭は和風の店でもなければレストランでもなく、居酒屋でもない。当時、和洋折衷の洋食店は珍しく、銀行は融資を渋った。黒船亭社長の須賀光一さんは、新しい船を作ったものの「苦難の船出」だったと振り返る。

記事を読む
元ゼネコン社員の三段跳び人生 家業の洋品店を洋食店に大改造(上)

元ゼネコン社員の三段跳び人生 家業の洋品店を洋食店に大改造(上)

須賀光一さんは上野の老舗「アダムスキクヤ」の3代目。1902(明治35)年創業の料亭だったのを、1969年に2代目が上野池之端に輸入モノ洋品店を開業。その後2代目の許しを得て、洋食店「黒船亭」を開業した。

記事を読む
創業100年の建材会社をM&Aで売却し、映画監督に転身(下)​​

創業100年の建材会社をM&Aで売却し、映画監督に転身(下)​​

創業100年の建材会社を売却し、映画監督になった三上康雄さんは、建材会社の社長時代、製品やカタログのデザインなどクリエイティブな仕事もこなしてきた。それが映画作りにも役に立っているという。来夏に時代劇映画『武蔵-むさし-』を公開する。

記事を読む
創業100年の建材会社をM&Aで売却し、映画監督に転身(中)​

創業100年の建材会社をM&Aで売却し、映画監督に転身(中)​

創業100年の建材会社の3代目社長だった三上康雄さんは、M&Aを決意して4年後、企業を売却し映画監督への道を踏み出した。一部のメディアに映画作りのために企業を売却したと書かれたが、M&Aの最大の理由は後継者がいないことだった。

記事を読む
創業100年の建材会社をM&Aで売却し、映画監督に転身(上)

創業100年の建材会社をM&Aで売却し、映画監督に転身(上)

三上康雄さんは若い頃からの映画好きが高じて、人生の折り返し点を過ぎた7年前に創業100年の会社を売却し、映画監督になった。デビュー作の時代劇映画『蠢動-しゅんどう-』は、世界12カ国で公開され、日本映画監督協会新人監督賞にもノミネートされた。

記事を読む
家業の革小物屋を継いだ元OLの使命感(下)

家業の革小物屋を継いだ元OLの使命感(下)

東屋はこれまで経営を支えてきたOEM(相手先商標製品)に加え、今後はオリジナル商品の小売り、ノベルティグッズの受注を3本柱に事業を展開していく。

記事を読む
家業の革小物屋を継いだ元OLの使命感(中)

家業の革小物屋を継いだ元OLの使命感(中)

東屋は創業100周年を機に、オリジナル・ブランド「AZUMAYA」を立ち上げ、小売りを始めた。高級ブランド化に成功すれば、ある程度利益も確保できるし、職人の工賃を上げることもできるとの考えがあった。

記事を読む
家業の革小物屋を継いだ元OLの使命感(上)

家業の革小物屋を継いだ元OLの使命感(上)

東京・両国の革小物製造会社 東屋は東京駅の開業と同じ、1914 年(大正3 年)の創業。その6 代目社長の木戸麻貴さん(44)は、近代的なビジネスの世界から伝統産業へと転身した元OL。「ミスすみだ」に選ばれたこともある江戸っ子美人だ。

記事を読む
若者の街・原宿で 家業の「お米屋さん」を継いだ 人事制度コンサルタント(下)

若者の街・原宿で 家業の「お米屋さん」を継いだ 人事制度コンサルタント(下)

小池精米店 店主の小池理雄さんは5年前に、お米屋さんの組合が認定する「五ツ星お米マイスター」の称号を得た。80種類あるお米を細かい注文に応じてブレンドする。

記事を読む
若者の街・原宿で 家業の「お米屋さん」を継いだ 人事制度コンサルタント(中)

若者の街・原宿で 家業の「お米屋さん」を継いだ 人事制度コンサルタント(中)

小池精米店 店主の小池理雄さんはお米を売ったことがない。それどころか営業の経験もゼロ。名刺の渡し方からお辞儀の仕方まで学び、飲食店の飛び込み営業から始めた。

記事を読む
若者の街・原宿で 家業の「お米屋さん」を継いだ 人事制度コンサルタント(上)

若者の街・原宿で 家業の「お米屋さん」を継いだ 人事制度コンサルタント(上)

東京・原宿で唯一の米屋として営業を続ける小池精米店の店主小池理雄さんは元人事制度のコンサルタント。カフェやアパレルの店が建ち並ぶキャットストリートの一角で「原宿で米屋をやることは僕にとって快感。天の邪鬼みたい」と笑う。

記事を読む
NECの「エリート街道」捨て、表具店の社長に(下)

NECの「エリート街道」捨て、表具店の社長に(下)

表具店「マスミ東京」社長の横尾靖さんは、掛け軸や屏風など表装を学べる教室も開いている。3畳の広さがあり、持ち運びが簡単にできて、わずか10分で組み立てられる。

記事を読む
NECの「エリート街道」捨て、表具店の社長に(中)

NECの「エリート街道」捨て、表具店の社長に(中)

表具店「マスミ東京」社長の横尾靖さんの前の仕事はパラボラアンテナや電話交換機、放送設備などの通信機器を扱う営業マン。義父からあとを引き受けたものの、表装の世界は門外漢。ゼロからのスタートだった。

記事を読む
NECの「エリート街道」捨て、表具店の社長に(上)

NECの「エリート街道」捨て、表具店の社長に(上)

横尾靖さん(61)は、襖(ふすま)や掛け軸、屏風などを扱う表具店「マスミ東京」の社長。NECでエリート街道を歩んでいたにもかかわらず、思い切って伝統産業に飛び込んだ。

記事を読む
家業の燃料卸問屋を譲渡し彫刻家に転身 薬師寺一彦さん(下)

家業の燃料卸問屋を譲渡し彫刻家に転身 薬師寺一彦さん(下)

薬師寺一彦さんは会社勤めや社長業の経験が役に立っている。アーティストとして作品を創るだけではなく行動力、企業にコラボを持ちかけるなどの交渉力がある。

記事を読む
家業の燃料卸問屋を譲渡し彫刻家に転身 薬師寺一彦さん(中)

家業の燃料卸問屋を譲渡し彫刻家に転身 薬師寺一彦さん(中)

父が経営していた燃料卸問屋は経営が順調だったからこそ、有利な条件で売却することができた。売却時は何の展望もなかったが、幸い働いていた時の蓄えがあり、生活には困らなかった。

記事を読む
家業の燃料卸問屋を譲渡し彫刻家に転身  薬師寺一彦さん(上)

家業の燃料卸問屋を譲渡し彫刻家に転身  薬師寺一彦さん(上)

芸術家になる夢が破れて、普通の会社に就職したり実家の商売を継ぐというのはよくあるが、薬師寺さんは真逆のパターン。いったん継いだ家業を捨て、プロの彫刻家になった。

記事を読む
赤字家業を継いだ元東レ社員 オーダースーツでV字復活(下)

赤字家業を継いだ元東レ社員 オーダースーツでV字復活(下)

「ビジネスマンをかっこよくする」が佐田のミッションだ。自身の会社を復活させるだけでなく、衣料品業界そのものを再生復活させたいと取り組んでいる。

記事を読む
赤字家業を継いだ元東レ社員 オーダースーツでV字復活(中)

赤字家業を継いだ元東レ社員 オーダースーツでV字復活(中)

赤字家業を継いだ「オーダースーツSADA」の佐田展隆社長。オーダースーツの直販に再起をかけるが、これまでの取引先からは「敵になるのか」と猛反発を受けた。

記事を読む

アクセスランキング

【総合】よく読まれている記事ベスト5