勝海舟からの「一杯の葡萄酒」

川上善兵衛は1868年、越後高田の大地主・川上家の長男として生まれた。幼名は「芳太郎」。代々、川上家では当主が「善兵衛」を継いでいて、岩の原葡萄園の創業者である川上善兵衛は6代目にあたるという。

その善兵衛が岩の原葡萄園を創業したのは、二十歳そこそこの1890年のこと。当時、越後高田では豪雪に悩まされながら米づくりに苦慮する農家が多く、善兵衛は明治期の殖産興業の理念に突き動かされ、「郷土で米に代わる産品を」と高い志を抱いたようだ。

当時の逸話がある。川上家と親交のあった勝海舟のもとを善兵衛が訪問したときのこと。海外から渡ってきた「葡萄酒」を勝海舟から振る舞われ、芳醇な海外文化の香りを感じた。そのとき、善兵衛は「ぶどうは荒れた傾斜地でも栽培でき、田をつぶさなくてもすむ。越後高田の新しい産業として農民救済にもつながる」と考えたという(岩の原葡萄園ホームページより)。

だが、実際のぶどうの生産が軌道に乗るには、艱難辛苦の道のりだった。

雪国に合った品種改良と創意工夫

利雪の発想を受け継いで2005年に復活させた雪室

善兵衛は、フランスから帰国した甲州ワインの先達・土屋竜憲からぶどうの栽培技術を学び、雪国の気候に適したぶどうを栽培するために欧米から多種のぶどうの苗木を取り寄せて品種改良を重ねた。そして1927年、「マスカット・ベーリーA」をはじめとする雪国の気候風土に合った独自品種の開発に成功する。

この「マスカット・ベーリーA」は、現在でも日本ワインの主力原料として使われている。その後も善兵衛はたび重なる品種改良を続け、「ブラック・クイーン」「ローズ・シオター」など計22品種の優良品種を世に送り出した。

善兵衛が私財を投げうって創業した岩の原葡萄園は、小高い山の斜面にぶどう畑が広がり、その裾野に石蔵などを置いている。現在、その石蔵の横に「雪室」の表示がある。善兵衛は良質なワインづくりをめざして、熟成工程などの温度管理に雪を利用したという。

現在の雪室は、その利雪の発想を受け継いで2005年に復活させたものだ。ちなみに、1895年にワインの醸造兼熟成庫としてつくられた「第一号石蔵」は国登録有形文化財に指定され、1898年に雪による冷却庫を併設した「第二号石蔵」は上越市指定文化財に指定されている。