3人兄弟の長男。高校卒業後、重い糖尿病を患っていた父親を助けるために、家業の燃料卸問屋で働き始めた。燃料のプロパンガスや炭、薪をトラックで運び、小売店に卸す仕事だ。きつい肉体労働だった。「父は生前、俺が死んだ後はお前の好きなことをやってもいいが、生きている間はこの仕事を続けてくれと言っていた」
その約束通り、同世代の学生が遊んでいるとき、薬師寺さんは泥だらけになって働いてきた。20年前、父親が50代の若さで他界した後は、社長として会社を切り盛りしていたが、やはり夢が忘れられず、東京に住んでいた姉に、「彫刻家になろうと思うんやけど」と相談したところ、「まだ若いからやったらいい」と同意が得られ、独立を決意。1年間の社長業で会社を整理した。(次回は2月6日に掲載)
文:大宮 知信
1948年 茨城県生まれ。ジャーナリスト。政治、教育、社会問題など幅広い分野で取材、執筆活動をつづける。主著に『ひとりビジネス』『スキャンダル戦後美術史』(以上、平凡社新書)、『さよなら、東大』(文藝春秋)、『デカセーギ─漂流する日系ブラジル人』『お騒がせ贋作事件簿』(以上、草思社)、『「金の卵」転職流浪記』(ポプラ社)などがある。