日本各地に現存するヴォーリズ建築

近江兄弟社とはどのような会社なのか。その沿革をたどるとき、建築設計家として西洋建築を日本に伝承したウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964)に行き着く。

近江兄弟社の経営破綻から再興の道のりは、その偉大なる建築設計家とその遺志、また建造物そのものを風化させてはならないという強い思い、それが近江商人の不屈の商売魂に紡がれていくなかで生まれたのではないだろうか。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズは1881年、米国カンザス州に生まれた。1902年、21歳で学生宣教義勇団大会に出席し、外国へのキリスト教伝道への献身を決意。24歳で近江八幡に渡り、県立商業学校(現・県立八幡商業学校)の英語講師となる。

その後1908年、建築設計監督の事業(のちのヴォーリズ建築事務所)を開業し、30歳でヴォ―リズ合名会社を設立。37歳の頃には、近江療養院(結核療養所、現ヴォーリズ記念病院)を設立する。さらに、家具・楽器などを輸入販売する近代セールズ社という会社を設立し、「メンソレータム」の輸入販売を本格的に扱い始めたのは大正後期、ヴォ―リズが40歳を過ぎた頃だった。

50代から60代の頃に、ヴォーリズは「メンソレータム」の輸入販売をしていた「近江ミッション」という会社を近江兄弟社と社名変更し、その創業者となる。また、ヴォーリズ自身も日本国籍を取得、一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)と改名した。一柳とは、ヴォーリズの妻・満喜子の姓、播州小野藩(兵庫県小野市)の藩主であった一柳家から受けたものだ。

宣教師として、英語教師として、また建築設計家として活躍したヴォーリズは、日本各地の建築設計にたずさわる。現存する建築としては、北海道・北見にあるピアソン記念館(北見は「メンソレータム」の主原料の1つ、ハッカの生産地。最盛期には世界の約70%のハッカを生産していた地域だという)、東京・お茶の水にある“文豪の常宿”として知られた山の上ホテルがある。

また、兵庫県西宮市に本拠を置く関西学院大学の校舎・建造物にもヴォーリズ建築が残っている。新潟県上越市にある高田降臨教会は、新潟に残る唯一のヴォーリズ建築だ。ノスタルジックな洋風建築の数は日本全国に1600あるといわれ、多くが自治体や国の近代化遺産、産業遺産などに指定されている。

大阪・中之島(北区)のほか、東京、九州などでも事業を営む一粒社ヴォーリズ建築事務所。一柳から一粒に名称は変わったものの、ヴォーリズの遺志を継いた建築事務所である。ヴォーリズ建築を継承していくとともに、いまも全国の教会や学校などの建築に携わっている。