阪急HDにとっても、梅田駅前に多くの資産を有する阪神電鉄は魅力的であった。阪急は、バブル経済崩壊後、大阪市西淀川区の開発計画が頓挫するなどして、負債が膨らんでいた。ところが阪神電鉄は、沿線に優良な資産をもち、財務状況は健全で、西梅田地区の再開発に取り組んでいた。
当時社長であった手塚昌利氏によれば、西梅田地区の再開発事業は「阪神グループ挙げての21世紀への新しい挑戦」であり、「西日本の表玄関である大阪にふさわしい世界水準の街を創造」することであった...
日本全国に伸びる鉄道網。戦後70余年はその拡大と縮小の歴史でもあった。その歴史には鉄道各社が掲げる「鉄の理念」と、ライバル会社との競争を生き抜くしたたかな「鉄の思惑」が交錯する。鉄道の資本移動という観点から、その歴史を振り返ってみる。