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【野田醸造建築群】醸造家が育て支えた伝統と財|産業遺産のM&A

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「野田の醤油発祥地」碑。永禄年間に飯田市郎兵衛家が醤油づくりを始めたとされる

群雄割拠する醸造家たち

ここで、もともとの野田醤油の歴史を振り返っておきたい。野田醤油の歴史は古い。伝承の部類だが、永禄年間(1558〜1570年)に飯田市郎兵衛家が始めたとされている。その旧飯田家の工場・蔵跡には現在、「野田の醤油発祥地」と刻まれた記念碑が建っている。

野田醤油が貴重品ながら広く一般に使われ始めたのは、それから100年ほど経ったのちのことだ。1661(寛文元)年に、髙梨兵左衛門という醸造家が醤油醸造を始めてからだとされている。

その後、18世紀に入り、野田醤油は江戸時代に関西醤油にとって代わり、飛曜的に拡大していった。財をなした醸造家は地元の名士であり、代々、その名を襲名する習慣もあったのだろう。1781年に、高梨兵左衛門、櫛形屋茂木七左衛門、柏屋茂木七郎右衛門、亀屋飯田市郎兵衛、杉崎市郎兵衛、竹本五郎兵衛、大塚弥五兵衛の7家が後の野田醤油の基礎になる「野田醤油仲間」を結成した。

さらに1788年には堀切紋次郎という人物が新たに醤油醸造を始め、1830年に山下平兵衛という人物も醤油醸造を始めた。現在の野田市を中心に醸造家らが群雄割拠する時代を迎える。

地主農家としての長屋門と金融業としての帳場をあわせ持つ茂木七郎治邸

そして、19世紀中期には、ひと際勢力をつけた醸造家、髙梨兵左衛門家と茂木佐平治家の醤油が幕府の御用醤油にもなった。明治期に入ってからは、高梨・茂木両家による醤油醸造は日を追って隆盛を極め、1887年には前述の野田醤油醸造組合を結成したのである。

野田商誘銀行を設立した野田醬油醸造組合には、野田周辺の醸造家である茂木七左衞門・茂木七郎右衛門・茂木佐平治・高梨兵左衛門・山下平兵衛などがいた。

組合は、隆盛を極めつつあるなかで野放図に広がりがちだった無制限な自由競争を排除した。醬油の価格協定を結び、原料の価格投票を行い、出荷の統制をかけ、職人の賃金協定なども実施した。この背景には、供給過剰による価格の暴落もあったのだろう。それぞれの組合業務の安定に、野田商誘銀行は存立意義を見出していったともいえる。

なお、組合員の共同利益を図った野田醤油醸造組合だが、一方で、醬油醸造業界で最初の化学試験場を自邸内に設けた人物もいた。生産や商売面のみならず、醤油醸造の技術面でも業界を先導する立場となっていったのである。

 

銀行合同の荒波に揉まれて

地元の有力な醤油醸造家の“金庫”という特定の性格からか、野田商誘銀行は、創立後しばらくは株主に配当せず、社内留保を充実させ堅実経営を貫いたという。そして1901年の金融恐慌も乗り越え、昭和初期、野田商誘銀行は県内有数の金融機関に成長した。

だが、太平洋戦争が始まると、銀行界は国が進める一県一行主義、合同政策に大きく揺れ動く。野田商誘銀行は1944年、県内主要行となった千葉銀行に営業譲渡し、廃業を決めた。

キッコーマン野田工場にある御用醤油醸造所

当時、千葉県内では千葉合同、第九十八、小見川農商の3銀行が合併し、千葉銀行が誕生した。これに千葉貯蓄銀行も追随し、吸収されている。当然ながら、野田商誘銀行にも国からの合併要請は続いたようだ。

野田商誘銀行は要請の当初は、醤油の製造にともなう大豆の生産、燃料の支払いなど金融事業の特殊性から対応に消極的であった。だが、ついに戦時下の状勢を鑑み、その要請を受け入れざるを得なかった。

一方、醤油の市況はどうだったのか。前述のように1910年代、醬油市場は供給過剰になり、醬油価格も暴落、野田醬油醸造組合は価格維持・引上げを目的とする出荷制限を行った。だが、醬油組合員内の増産競争は次第に激化する傾向にあり、供給過剰はより深刻になったようだ。

このような状況下、多くは同族であった野田の醸造家は、個別の一族が分散して醸造経営する弊害を避け、山下平兵衛を除いたメンバー(茂木6家、高梨家、流山の堀切家)が1917年に大合同を果たした。野田醬油株式会社の誕生だ。大合同といっても、高梨・茂木両家で発行株式の7割を超える出資をしたという。それが、100年超のときを経てキッコーマンに統一され、業界最大の醬油ブランドになったのである。

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