日本煉瓦製造の生産した煉瓦を使用した建造物には、東京駅をはじめ、旧司法省本館、碓井峠第3橋梁、迎賓館、日本銀行旧館、東京大学、旧醸造試験場(現酒類総合研究所)などがある。
日本煉瓦製造はその発展過程において、民間企業として日本初の専用鉄道線を開通させた。創業からしばらくは工場敷地を流れる小山川から、利根川に出て海運で煉瓦を都心に運んでいた。だが、利根川の水運は河川の氾濫や洪水などにより不安定でもある。さらに、時代は鉄道輸送にとって代わるようになってきた...
鉄道局(のちの鉄道庁)長官を務めた“鉄道の父”、井上勝は岩手・小岩井に、大規模な農場を開きたいという大きな夢を抱いた。そして、三菱の顧問であった小野義眞と三菱社長の岩崎彌之助の3人によって大農地の開拓が始まった。「小岩井農場」の誕生である。