だが、明治後期・大正・昭和初期の激動のなかで、カブトビールと赤レンガ工場はいくつもの試練を迎える。カブトビールは、日本第一麦酒株式会社、加富登麦酒株式会社などと社名変更を繰り返し、1933年には大日本麦酒株式会社と合併した。その約10年後に太平洋戦争の激化により工場は閉鎖され、製造元である大日本麦酒株式会社はサッポロビール株式会社とアサヒビール株式会社に分離していく(半田赤レンガ建物ホームページより)。そのとき、カブトビールはきっと、知る人ぞ知る存在になっていったのかもしれない...
埼玉県北部の深谷市。新1万円札に載る渋沢栄一の生誕の地。深谷は「煉瓦の町」としても知られる。深谷駅の駅舎は東京駅を模した造り。そして、その東京駅の赤煉瓦を供給したのが、深谷市上敷免にあった日本煉瓦製造株式会社である。