終戦後、中島飛行機半田製作所は財閥解体の波にもまれながら閉鎖・解体された。そして赤レンガ建物は、半田を工場創業の地とする日本食品化工が譲り受けた。日本食品化工は当時、工場の一部として主に倉庫として利用したようだ。
日本食品化工は、トウモロコシなどの加工製品とその二次加工製品を製造販売し、「コーンスターチを製造する会社」といえば、わかりやすいかもしれない。麦からトウモロコシへ。第2次大戦を挟んで、半田赤レンガ建物は戦前と同じように、穀類の分野で加工・貯蔵という新たな役割を見いだした...
埼玉県北部の深谷市。新1万円札に載る渋沢栄一の生誕の地。深谷は「煉瓦の町」としても知られる。深谷駅の駅舎は東京駅を模した造り。そして、その東京駅の赤煉瓦を供給したのが、深谷市上敷免にあった日本煉瓦製造株式会社である。