地銀再編が進み、徐々にではあるものの“1県1地銀”が浸透してきた。長野県も、その一つだ。かつては県内に八十二銀行(長野市)と長野銀行(松本市)が存立していた。だが、2023年6月に長野銀行は株式交換により八十二銀行の完全子会社となる経営統合を行った。
尾小屋鉱山。最盛期には日本有数の銅生産量を誇ったとされる北陸を代表する鉱山だった。現在は県立尾小屋鉱山資料館が置かれ、坑道はマインロードと称して観光整備がされている。
但馬銀行という名は金融史の中で3度登場している。一つは1920(大正9)年から1924年まで、温泉で有名な城崎(兵庫県)に存立していた但馬銀行。続いて1928(昭和3)年から1941年まで存立した但馬銀行。この但馬銀行は甲子銀行を前身とし、1941年に但馬地方の8金融機関によって全但銀行として新立合併した。そして最後に、1956年に香住銀行から改称した但馬銀行である。
新潟県長岡市に「摂田屋」という土地がある。特定の家・屋号のことではなく、長岡市にある地名だ。この摂田屋は中山道の高崎宿(群馬県)から寺泊宿(新潟県)を結び上杉謙信の関東遠征の際にも利用された旧三国街道に面し、新潟の中でも古くから酒や味噌、醤油などの醸造が盛んな地域だった。
第二地銀のない県の県民にとって信用金庫(信金)は重要な存在だ。和歌山県も「第二地銀のない県」の一つ。県内の法人・個人にとっては信金が預貸や他の金融サービス面でも重要な存在である。
八ツ沢発電施設群。建設したのは明治後期から昭和期にかけて首都圏の電力を担っていた東京電燈という電力会社。八ツ沢発電施設群は明治後期の1910年頃、同社が水力電気事業の一環として建設した。
福邦銀行は1943(昭和18)年に若越無尽として誕生した。この若越無尽は県内の越前無尽・武生無尽・福井無尽の3社が合併して新立した金融機関だ。3無尽のうち、武生無尽・福井無尽が1919(大正8)年の設立、越前無人は1925年の設立である。
南海高野線とは大阪市の汐見橋駅(もしくは、なんば駅)から和歌山県高野町の極楽橋駅を結ぶ南海電鉄の主要路線の一つ。極楽橋駅の先には高野山ケーブルが高野山駅まで延び、一般にはこの高野山駅までを南海高野線と呼ぶことも多い。
香川県の第二地銀、香川銀行は1943(昭和18)年2月、県内の旭無尽、香川第一無尽、讃岐無尽、七宝無尽、丸亀無尽の5無尽が新立合併し、香川無尽として誕生した。 その後1951年6月に施行された相互銀行法により、同年10月、香川相互銀行に。そして1989年2月に、相互銀行法の廃止に伴い香川銀行となった。ちなみに同年は金融制度改革が進む過程で、相互銀行法は1992年6月の法改正(いわゆる金融制度改革法)により廃止となった。
小豆島の醤油造りは、400年もの歴史を持つ伝統産業だ。製塩業が盛んだった小豆島では、江戸時代に入り醤油づくりが始まった。戦後、その醤油と海産物などを使った佃煮業を発展させ、オリーブ、素麺とともに醤油と佃煮は、小豆島の名産品になった。