日光電気軌道の買収の背景にあった金谷真一との会談

国鉄日光駅前から岩ノ鼻を経て馬返まで、日光電気軌道(資本金20万円)の軌道線が開業していた。同軌道は、日光東照宮、輪王寺、二荒山神社などへの観光客や日光電気精銅所に出入する貨物の輸送を目的に、日光町の有志と古河合名会社によって1908年9月に設立され、10年8月に開業した。

根津は、東武日光線開業前年の1928年、この日光電気軌道線を系列化においた。根津が日光電気軌道線を買収したのは、中禅寺湖の畔にある老舗高級旅館・日光金谷ホテルの経営者である金谷真一の働きかけによるものであった(福田和美『日光避暑地物語』平凡社、1996年)。

金谷真一は、日光電気軌道の取締役でもあったが、同社の経営状況が芳しくなかったので、日光への乗り入れを計画している東武鉄道に売却しようと考えていた。資金力の乏しい日光電気軌道がわずか10㎞の路線を経営してももうからないが、東武鉄道が経営して観光客をたくさん運んでくれば、日光の繁栄にもつながるというのである。

金谷は根津と交渉し、「日光電気軌道はこのままでは見込みがない。しかし、東武鉄道が買えば浅草~日光間の路線が強化され、停車場の用地にも困らなくなる。東武鉄道にとってはまさにダイヤモンドにも匹敵する価値がある」と売り込んだ。資本金50万円の日光電気軌道を、3倍の150万円で売却しようとしたが、さすがに根津も値下げを要求し、結局130万円で売却となった。

東武日光線が開業すると、東武鉄道は日光電気軌道線を強化し、1932年6月に同社の傍系会社である日光自動車を合併して日光自動車電車と改称し、その後さらに日光軌道とした。東武鉄道は、浅草から日光湯元にいたるまでの一貫輸送体系を形成し、日光の観光開発を面的な広がりをもって進めたのである。

現在は特急スペーシアが都内・日光間を最短2時間弱で結ぶ

下野電気鉄道へ乗り入れ、鬼怒川温泉を確保

東武日光線は、開業とともに下野電気鉄道(新今市~藤原間)への乗り入れを実現し、鬼怒川温泉への輸送手段を確保した。同鉄道は営業不振に悩んでいたが、1926年2月に東武鉄道の顧問弁護士であった宇都宮政市が社長に就任すると、根津は東武鉄道名義で8000株、個人名義で1000株を購入し、29年6月に相談役となった。

そして、1943年5月には下野電気鉄道を買収して合併した。こうして根津は都内と日光・鬼怒川に鉄路を結び、東武は日光・鬼怒川を歴史・自然・温泉の一大観光エリアへと育てていった。

鬼怒川温泉。日光・鬼怒川に鉄道網が敷かれ、一大観光エリアに

文:老川 慶喜(跡見学園女子大学教授・立教大学名誉教授)/編集:M&A Online編集部

老川 慶喜(おいかわ・よしのぶ)
跡見学園女子大学観光コミュニティ学部教授 1950年、埼玉県生まれ。立教大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。経済学博士。専門は交通史、鉄道史。 現在、跡見学園女子大学観光コミュニティ学部教授、立教大学名誉教授。1983年、鉄道史学会設立に参加、理事・評議員・会長などを歴任。   近著に、『鉄道と観光の近現代史』 (河出ブックス)、『日本の企業家 5 小林一三 都市型第三次産業の先駆的創造者』 (PHP経営叢書)、『日本鉄道史 大正・昭和戦前篇 - 日露戦争後から敗戦まで』 (中公新書)など。