端正な銀行建築だった「もりおか啄木・賢治青春館」

 岩手県内最大の地銀・岩手銀行の歴史をもう少したどってみよう。創立は岩手殖産銀行の設立に始まる1932年だが、実は岩手殖産銀行の設立に前後して、岩手県内の金融界は大きな試練に見舞われていた。

 1933年に、前述のように盛岡銀行の営業免許が取り消された。同年、岩手県は昭和三陸地震の大津波、さらに翌年にかけて冷害による凶作に見舞われた。東日本大震災の際に、過去の三陸の津波の記録をたどる映像などをTVで見た人も多いだろう。その直近の大津波である。

 相次ぐ自然災害を受け、県の財政も大きな痛手を被る。そこで岩手県金融界は盛岡銀行の営業停止後、県内に5つあった銀行の集約を始めた。1938年には第八十八、第九十の旧国立銀行2行と普通銀行1行が合併し、陸中銀行となる。その合併により、岩手県内の銀行は岩手殖産銀行と岩手貯蓄銀行、陸中銀行の3行体制となった。

 このうち第九十銀行は1878年、地元資本で設立された盛岡で初めての銀行であった。その現存する本店が建てられたのは、明治末期の1910年のこと。赤レンガ館と同様、中ノ橋通にあり、設計したのは盛岡出身の設計技師、横濱勉。端正で重厚、優美さも感じさせる外観だが、それは目と鼻の先にある赤レンガ館に先んじて建てられたことになる。きっと、「先んじて」というより「競うように」といった印象が当時の“銀行建築業界”にあったのかもしれない。

 その後、第九十銀行の本店は岩手銀行の関連会社である、いわぎんリース・データの社屋として使われていたようだ。現在は盛岡市に移管され、「もりおか啄木・賢治青春館」として一般に開放されている。