武蔵野軽便鉄道は、1911年10月に資本金を100万円とし、12年12月に路線変更願を提出し、東京側の起点を巣鴨から池袋に変更した。1913年4月に着工し、2年後の15年4月に池袋~飯能間の全線約44.2kmを開業した。中間には、東長崎、練馬、石神井(現・石神井公園)、保谷、東久留米、所沢、西所沢、三ケ島村(現・狭山ケ丘)、豊岡町(現・入間市)、仏子など10駅が置かれた...
『鉄道の資本移動の歴史』連載の4回目は前回に続き東武鉄道の資本移動について。日本を代表する観光地・日光に、鉄道王・根津嘉一郎はどんな夢を見たのか。JRより早く、短く、さらに山奥へ。鉄路を延ばしていった歴史をたどる。
東京の副都心・池袋から埼玉県の川越・寄居に向けて北上する東武東上線。東武本線とは切り離されている路線だが、その埼玉県からの主要な通勤路線に育てたのは「鉄道王」と称された根津嘉一郎の功績の一つだ。
阪神・阪急の経営統合の真のねらいは、旅客輸送のシェアを高めるJR西日本に対抗して、阪神・阪急がJR包囲網を築くことにあった。その対象は、不動産・百貨店・ホテルなど、阪神・阪急の兼業部門にも及ぶ。
日本全国に伸びる鉄道網。戦後70余年はその拡大と縮小の歴史でもあった。その歴史には鉄道各社が掲げる「鉄の理念」と、ライバル会社との競争を生き抜くしたたかな「鉄の思惑」が交錯する。鉄道の資本移動という観点から、その歴史を振り返ってみる。