西武鉄道の成立 武蔵野の台地に王国を築いた堤康次郎(前編)
なぜ西武鉄道の設立記念日は、武蔵野鉄道が設立された1915年4月15日なのか。そこには武蔵野鉄道と旧西武鉄道との合併劇を主導した堤康次郎の存在が大きかった。
老川 慶喜
| 2018/5/6
2018.05.06

1938年8月、東京市および東京市周辺の交通機関の競合を調整すべく、交通事業調整委員会が発足した。同委員会の会長には、衆議院議員で拓務大臣、逓信大臣、鉄道大臣などを歴任した永井柳太郎が就任し、堤康次郎も委員として参加した。
東京市などは調整地域の一元的統合を主張したが、堤は反対し、地域別の小統合を主張した。委員会では、1940年末に堤らの主張が受け入れられ、中央本線以南、中央本線と東北本線の間、常磐線の東南(2ブロック)の計4ブロックに分けて統合が進められることになった...
なぜ西武鉄道の設立記念日は、武蔵野鉄道が設立された1915年4月15日なのか。そこには武蔵野鉄道と旧西武鉄道との合併劇を主導した堤康次郎の存在が大きかった。