11カ国語の翻訳家として活躍され、数々の上場企業の語学研修講師としても知られる、ポリグロット外国語研究所代表の猪浦道夫先生。投資銀行業務の現場で必要とされる語学力と勉強方法について、投資銀行勤務経験のある尾藤玲央氏(仮名)と対談していただきました。
――これまで関わられたお仕事についてお聞かせください。
尾藤氏:前職の会社でストラクチャードファイナンスやM&Aに携わっていました。アメリカ人のヘッドを中心として、同僚が中国人だったりロシア人だったり、と多国籍にわたる混成チームでした。専門ごとに分業体制をとっており、私はバリュエーションを中心に関わりました。今は(転職して)バイサイドにいます。
難しかったのは、各専門分野の違いによって生じるギャップです。たとえば、伝えたはずの内容ができあがった契約書に盛り込まれていなくて「こう言ったじゃないか」というようなこともありました。訴訟問題までもつれこんだ案件もあります。
――ギャップの原因は、やはり多国籍チームならではの言語の違いでしょうか?
尾藤氏:言語も一因としてあったと思います。つまり、金融の現場の英語というと、もちろん日本人チームと外国人チームの間でコミュニケーションギャップがありますし、それ以上に専門家ごとに言葉の意味が異なることがよくわかっておらず苦労しました。
たとえば「時価」という言葉1つでも、会計アドバイザーの人間が使う「マーケットバリュー」と金融商品をキャッシュフローからプライシングする我々が用いる「マーケットバリュー」ではその意味する内容が異なる部分があります。「ある資産の価値が毀損して純資産の時価が下がった分は売買代金の一部を返します」という条項を入れたつもりが意図しないものになったり、ドキュメンテーションを専門とする弁護士も微妙に違う理解をしますので、きちんと契約書に盛り込むことは難しいものです。
今思えば恥ずかしい限りですが、その分野のプロを気取っていましたので、その意味では、専門という殻に閉じこもることなく、もっとgeneralな、各分野のコミュニケーションをとれる能力が必要だったのだろうと思います。うまく語学力を活かしてこそ、専門バカとしての能力も発揮できたのではないかと。難しいのは、専門用語の理解も、人によってギャップがあることです。
――では現場で必要な語学力というと何が基準になるのでしょう。やはりTOEICでしょうか。
尾藤氏:TOEICの良さは、500点という平均を中心に統計的に「点が出る」というところでしょうか。企業が人を測るという意味では何かのものさしがあると便利ですし、また必要なのだと思います。知能テスト的なSPIでもよいと思いますし、TOEICもその点ではうまく機能していると思います。ただ英語が苦手な人はスコアが低いのは間違いないのですが、高得点でも英語運用能力が低い人が時々いる気がします。そこの見極めは課題かもしれませんね。
猪浦氏:多くの企業がTOEICを使っていますが、この試験ではスピーキング能力(ネゴシエーション、ディベート力)が測れません。だから試験を受けさせてもあまり意味がないように思います。またリーディングと言っても、英語を読んでその内容をそのまま自分がわかる力と、それを人にわからせるように和訳する力という2つの能力があるのですが、少なくとも後者の能力はTOEICでは測れません。
そもそもTOEICは4択のマークシート方式なので、フィーリングで何となく答がわかってしまうこともかなりあります。試験のレベルがそれほど高くないので(企業側が知りたい)ハイスコアの領域は、きめ細かく能力が測れません。リーディング、ヒアリング、ライティング、スピーキングの4拍子そろった試験という点では英検の方がましです。また、TOEICがビジネス英語能力を測る試験だと言いますが、そのようには思えません。
TOEICはその他にいろいろ問題があり、ちょうど数日前に「TOEIC亡国論」(まだ正式決定のタイトルではありませんが)なる本を書き終わったところです。
――「TOEIC亡国論」とは、時代の逆を行くような発想に思われますが。
猪浦氏:英語教育に関して1980年代以前を振り返ってみると、当時はまだ生の英語と触れ合う機会も少なかったこともあって、会話力の点では今より劣っていたかもしれませんが、読み書きの力は統計的にみれば現在よりかなり優れていました。それが1990年頃から始まったゆとり教育の影響もあり、使えない英語では仕方ないという理由からヒアリングやスピーキングが重視されるようになり、その結果読み書きや文法面での指導が軽んじられるようになったのです。
最近では、小学生でも英語の授業を導入する動きが高まっていますね。鳥飼玖美子先生とか大津由紀雄先生など心ある先生方からの猛反対を受けて、文部科学省では少し見直しの雰囲気は生まれているものの、お役所行政の常で「最初に結論ありき」で、もう予算をとったからという理由で(ほんとは天下り先確保と関連業者との癒着が原因)、2020年度からの導入が決定的なようです。
しかし読み書き能力は大事です。TOEICについていえば、まずもっとビジネス用に特化して難度を上げて900~990点あたりの幅がよく分かるようにした方がいいと思います。また、むしろ会話的な要素は捨てて、きちんと文章を読めるかを測れるような内容にする方がよい。会話力を測るのなら同時にディベート力も加味したものでないと意味がありません。
私の知人の話ですが、TOEIC満点の米国帰国子女の学生を雇ったら対人恐怖症の子だったという笑えない話があります。ビジネスピープルに必要な英語能力を測るものさしが必要というのなら、企業なり経済産業省が協力してもっと日本人のビジネスピープルに本当に必要とされている英語力を測ることのできる試験を、外国に頼らず(編集部注: TOEICは米国のETSという団体に制作を依頼している)国内で開発するべきです。
――翻訳能力がまず重要ということですね。
猪浦氏:英語の会話に堪能な優秀な帰国子女でも、きちんとした日本語のレポートを書けないといったケースはままあります。つまり、安易にバイリンガルと言いますが、両方の言語に完璧な人間はほとんどいません。日本語か英語かどちらかがベースになっていて、もう一方の「外国語」が母国語並みにうまい、というケースがほとんどです。
――現場では、アメリカ英語とイギリス英語どちらが使われていますか?
尾藤氏:ほぼアメリカ英語ですね。イギリス人はインテリであればあるほど自分の国の言葉にこだわりを持ちますけれど、若い世代はかなりアメリカ化しています。
ただ、アメリカ英語が一見通じたようでも、頭の中で考えていることは国によって違ったりします。言外の意味ですね。それは長年現場にいても慣れません。
猪浦氏:英語は世界中で使われているだけに難しい面があります。インターネットの普及によりあまりにも多くの国民が英語を母語ないし公用語にしているので、本当はこの冠詞はおかしいけれどまあいいかといった感じで、皆が少しずつ譲歩して文法規範が緩くなっている。けれども専門分野になるとその分野特有の語彙、語法、文体があって、英語がいくらできてもその業界の人間でないと分からないということがいくらでもあります。金融などの特殊な世界で英語の達人と言われるようになるには、現場で何年ももまれないとそういうレベルには達しないのですね。
私の知人の話では、ロンドン駐在員時代に優秀な日本人学生を臨時雇用することがあり、そういう学生の中には素晴らしくよく英語のできる子がいるのだけれども、金融のことを知らないので結局仕事では使えなくて、正規採用に至らないと惜しんでいました。
――語学力がありながら、それはもったいない話ですね。(次回「現場で使える語学力を身につけるには」に続きます)
取材・文:M&A Online編集部