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「さようなら!私たちは御社を忘れない」惜しい廃業3選

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梅の花本舗 懐かしのロングセラー「梅ジャム」と共に去りぬ

 関東で育った人なら誰でも一度は口にしたことがある駄菓子の「梅ジャム」。2017年12月で製造元の梅の花本舗(東京都荒川区)が廃業。駄菓子屋などでの店頭在庫がなくなり次第、永遠に姿を消す。現在、ネット通販では定価10円の40個入りケースが8,000円前後の高値で取り引きされている。

 14歳で終戦を迎えた梅の花本舗の高林博文社長が疎開先の富山から東京に戻り、父親の友人から入手したリンゴの粉を紙で包み、麦わらのストローを付けた駄菓子を考案した。当時流行していた紙芝居師に売り込んだところ、子供たちに飛ぶように売れた。これに喜んだ紙芝居師から「ほかにも何か駄菓子を作ってくれないか」と頼まれる。当時の紙芝居師は主にソースを塗ったミルクせんべいを売って紙芝居を見せていた。高林社長はソースの代わりとなる新しい商品を思いつく。

 材料は乾物屋が安く販売していた傷物の梅干しの果肉。とはいえ、酸っぱい梅肉をそのままジャムにしても子供に売れるはずはない。そこで梅肉を煮詰め、甘味料を加えて味を調整した。そして1947年に誕生したのが「梅ジャム」だ。終戦直後の日本では働き先が少なく、資金がなくても手軽に始められる紙芝居師が急増した。昭和20年代には紙芝居師が関東地区だけで約1万2000人、全国では約5万人いたという。紙芝居師の売り上げを支える梅ジャムは飛ぶように売れ、当時はまだ珍しかったトラック輸送で対応しなければならないほどだった。

 その後、朝鮮戦争に伴う特需で製造業が復興すると工場などでの求人が増え、紙芝居師の多くはサラリーマンに転職して紙芝居向けの需要は激減する。代わって梅ジャムは駄菓子屋や縁日の屋台などで販売されるようになり、70年を超えるベストセラー商品に育つ。だが、時の流れは残酷だ。創業時から高林社長1人で製造に当たっていたため後継者がおらず、87歳ともなると毎日の作業が負担になっていく。少子化による駄菓子屋の廃業などで売り上げも減少しており、70周年を迎えた2017年末を区切りに廃業した。

 高林社長はマスメディアで梅ジャムの製造法について言及したり自社工場で製造実演したりしており、「梅ジャムの製法は秘中の秘」というのは一種の「都市伝説」だ。ただ、類似商品が梅の香料を混ぜているものが多いのに対して、梅ジャムは本物の梅肉を原料として使っているため、味の調整は高林社長のスキルに依存している。

 廃業報道で梅ジャムが話題になっている今は、再出発の好機といえる。商標や商品デザインなどの譲渡を受ければ、新「梅の花本舗」としての事業再生も可能だ。高林社長の指導があれば、全く同じ味とはいえないまでも、従来品に近い商品はできるかもしれない。「昭和レトロブーム」もあり、終戦直後の高林社長のような意欲ある若い起業家が1人いれば梅ジャムの供給を再開できるだろう。志ある起業家が高林社長を説得し、なんとか事業譲渡にこぎつけてもらいたいものだ。

梅ジャム
「梅ジャム」の賞味期限は1年間。在庫販売も2018年一杯で終わる。(Photo By yotate)