トップ > ライフ > 豆知識・トリビア >【失敗の本質】インパールどころではない76年前のオリンピックとコロナ危機

【失敗の本質】インパールどころではない76年前のオリンピックとコロナ危機

※この記事は公開から1年以上経っています。
alt

「オリンピック」「コロナ」そして「破滅」

対する旧日本軍も「決号作戦」で迎え撃つ準備を進めていた。しかし、1944年時点で400万人いた日本陸軍のうち、本土に配備されていたのは約132万人と総兵力の3分の1にも満たず、制海権を失っていたため大陸や朝鮮半島から部隊を帰国させることも難しい。

そこで65歳までの予備役軍人らを召集する「根こそぎ動員」で315万人、「国民義勇戦闘隊」と呼ばれた民兵組織で2800万人の合計3000万人を超える軍勢で迎え撃つ計画だった。

ただ、新たに追加された部隊のほとんどは弓矢や刀剣、鎌などの農具、自作の竹槍などで武装していた上に、全国に散らばっていたためオリンピック作戦やコロネット作戦を食い止めることは不可能だったと思われる。

旧日本軍も「決号作戦」では戦況の好転は期待できないとみており、国民総動員の人海戦術による持久戦に持ち込むことで有利な条件での休戦を目指していた。連合国軍もこうした対応を予想しており、原子爆弾の追加投下やマスタードガス、サリンといった毒ガスの無差別使用による早期制圧を目指していた。

「オリンピック作戦」と「コロネット作戦」を合わせた日本侵攻作戦の総称を、連合国軍は「ダウンホール作戦」と呼んだ。ダウンホールとは「破滅」または「滅亡」を意味する。本土決戦は1945年8月10日の御前会議で、昭和天皇が終戦を受け入れる発言をしたことにより避けられた。

2021年6月24日には、天皇陛下がコロナ感染拡大下での東京五輪開催に懸念を抱いているとの宮内庁長官による「拝察」発言も飛び出している。天皇が「ストップ」をかける発言まで共通しているとは、何やら薄ら寒くなるような一致だ。

東京五輪はインパール作戦のように決行されるのか、それともダウンホール作戦のように「破滅」直前で回避されるのだろうか。

文:M&A Online編集部

アクセスランキング

【総合】よく読まれている記事ベスト5