【失敗の本質】インパールどころではない76年前のオリンピックとコロナ危機

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新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染再拡大にもかかわらず、日本政府が東京五輪の開催を決めたことが、「インパール作戦」と揶揄(やゆ)されている。しかし、もっと現在の状況に当てはまる作戦がある。76年前に計画された「オリンピック」と「コロナ」を冠した幻の作戦だ。

「インパール作戦」よりも現在の状況に当てはまる?

現在、東京五輪の開催を強行する動きを揶揄する言葉として盛んに使われている「インパール作戦」とは、旧日本軍が1944年3月から7月にかけてビルマ(現ミャンマー)戦線で実施した軍事作戦で、日本側の正式名称は「ウ号作戦」。

蒋介石率いる中華民国(現台湾)軍向けの物資輸送ルートを遮断するため、英国が植民地支配していたインド北東部のインパールを攻略する作戦だった。人員輸送や物資補給が難しいとの反対意見を、司令官の牟田口廉也中将が「必要な物資は敵から奪え」「兵器がない、弾丸がない、食糧がないなどは、戦いを放棄する理由にならぬ。日本男子には大和魂がある」との精神論で押し切った。

その結果、作戦に動員された旧日本軍約9万人のうち、約2万6000人が戦死、3万人以上がマラリアによる病死や餓死で命を落としている。残存が確認されなかった7万2000人が全て戦病死したとすれば、兵士の死亡率は約8割に上る計算だ。

戦後、インパール作戦は「史上最悪の作戦」と呼ばれ、「無謀な作戦」の代名詞となる。ベストセラーとなった「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」(ダイヤモンド社刊)でも大きく取り上げられた。

一方、「オリンピック」「コロナ」を冠した作戦は、連合国軍による日本本土侵攻計画。一つは1945年11月に予定していた「オリンピック作戦」である。同作戦では九州南部へ上陸し、首都攻撃を支援するための航空基地を建設するのが目的だった。

もう一つが1946年3月に予定していた「コロネット作戦」。コロネットとは「小さな王冠 (corona)」の意味*。新型コロナウイルスの「コロナ」の派生語だ。新型コロナウイルスの外部にあるSタンパク質の形状から、ウイルス全体が王冠のように見えることから、「コロナウイルス」と名付けられた。

コロネット作戦は湘南海岸から30万人の部隊が上陸して相模川沿いに北へ進み、相模原市・町田市付近に拠点を確保。九十九里浜から鹿島灘にかけての海岸線に上陸した24万人の別動部隊と東京を挟み撃ちする計画だった。

*「馬の蹄冠」の意味もある

「オリンピック」「コロナ」そして「破滅」

対する旧日本軍も「決号作戦」で迎え撃つ準備を進めていた。しかし、1944年時点で400万人いた日本陸軍のうち、本土に配備されていたのは約132万人と総兵力の3分の1にも満たず、制海権を失っていたため大陸や朝鮮半島から部隊を帰国させることも難しい。

そこで65歳までの予備役軍人らを召集する「根こそぎ動員」で315万人、「国民義勇戦闘隊」と呼ばれた民兵組織で2800万人の合計3000万人を超える軍勢で迎え撃つ計画だった。

ただ、新たに追加された部隊のほとんどは弓矢や刀剣、鎌などの農具、自作の竹槍などで武装していた上に、全国に散らばっていたためオリンピック作戦やコロネット作戦を食い止めることは不可能だったと思われる。

旧日本軍も「決号作戦」では戦況の好転は期待できないとみており、国民総動員の人海戦術による持久戦に持ち込むことで有利な条件での休戦を目指していた。連合国軍もこうした対応を予想しており、原子爆弾の追加投下やマスタードガス、サリンといった毒ガスの無差別使用による早期制圧を目指していた。

「オリンピック作戦」と「コロネット作戦」を合わせた日本侵攻作戦の総称を、連合国軍は「ダウンホール作戦」と呼んだ。ダウンホールとは「破滅」または「滅亡」を意味する。本土決戦は1945年8月10日の御前会議で、昭和天皇が終戦を受け入れる発言をしたことにより避けられた。

2021年6月24日には、天皇陛下がコロナ感染拡大下での東京五輪開催に懸念を抱いているとの宮内庁長官による「拝察」発言も飛び出している。天皇が「ストップ」をかける発言まで共通しているとは、何やら薄ら寒くなるような一致だ。

東京五輪はインパール作戦のように決行されるのか、それともダウンホール作戦のように「破滅」直前で回避されるのだろうか。

文:M&A Online編集部