日本が初参加したオリンピック。アジアでは最も早い参加となった。本格的に組織化された初めての大会でもあり、オリンピックが巨大イベントとなるきっかけに。日本からは陸上短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三の2名が出場した。三島は400メートルの準決勝で棄権。金栗はレース中に日射病で倒れ、一時行方不明になった。そのため金栗の記録は棄権ではなく「行方不明」のままで、1967年3月の「ストックホルムオリンピック開催55周年記念式典」に招待されてゴールテープを切ることになった。金栗のゴールインで「日本のカナクリ、ただいまゴールイン。タイムは54年と8カ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」と同大会の閉会が宣言された。