1943年に田中土建工業を設立、1947年に政界に転じる。貧しい家庭の出身で高等小学校しか出ていない経歴でありながら総理大臣になったことから「今太閤」として人気を集めたり、ロッキード事件で「金権政治の権化」と批判されたり、第1次山一證券危機の回避や日中国交回復などの実績から「極めて有能な政治家だった」と再評価されたりと毀誉褒貶の多い政治家だった。1972年に発行した「日本列島改造論」(日刊工業新聞社刊)は91万部のベストセラーになっている。1度会った人間の顔と名前、肩書、家族関係などを絶対に忘れない抜群の記憶力があり、選挙活動や政官財界の人心掌握に役立ったという。