コーポレートガバナンスを考える 株主提案から考える企業価値の創造(下)

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株主価値の質問と現金保有の目的

欧米の会社が赤字でもPBRが高いのは、中長期的なフリーキャッシュフローの創出期待が大きいからである。これは、価値創造の原則を考えれば明らかである(「コーポレートガバナンスを考える 株主提案から考える企業価値の創造(上)」参照)。

AmazonのJeff Bezos CEO(当時)が2014年のアニュアルレポートの冒頭「株主への手紙」の中で「私たちの究極の財務指標、つまり、長期成長の最大の原動力だと考える指標は、1株当たりのフリーキャッシュフロー」と記載したことはあまりにも有名である。投資家も中長期的にフリーキャッシュフローが創出できれば、たとえ短期的には赤字でも許容している。

このフリーキャッシュフロー、資本コスト、非事業用資産、有利子負債が分かれば株主価値が算定でき、株価との比較ができるため、今年の総会でもバリュー投資家を中心にこれらを把握するための質問が目立った。具体的には、保有現金の使途に関する質問が多かったように思われる(「M&Aバリュエーションを考える フリー・キャッシュフローの予測期間」参照)。

とりわけ、日本の会社は欧米と会社と比べ、現金保有比率(総資産に占める現金の比率)が高いため、ペイアウトと並び定番の質問になりつつある。

しかし、一般社団法人生命保険協会のアンケート「企業価値向上に向けた取り組みに関するアンケート集計結果一覧(2018年度版)企業様向けアンケート」(回答数520社)によると、手元資金の適切な水準は、以下のように58.7%が「売上高や利益、運転資金、キャッシュフロー等に対して一定の比率を目安としている」と回答、「具体的な基準があるわけではない」との回答も25.2%を占めている。

出所:一般社団法人生命保険協会「企業価値向上に向けた取り組みに関するアンケート集計結果一覧(2018年度版)企業様向けアンケート」17頁

不可思議なのが、2019年度版以降、この質問はアンケートからなくなっている。また、アカデミックの研究によると、会社の保有する1ドル(円)に対する市場の評価は額面通りではなく割り引いて評価していること、そして、海外の会社より日本の会社の保有現金に対する割引の度合いが大きいことが実証されている。したがって、株主がペイアウトの提案をするのはやむを得ないといえる。

保有現金については、ペイアウトと同様、会社と投資家、あるいは投資家間でも意見が異なるため、投資家と対話し、理解を促すことが重要といえ、キャピタルアロケーションの一環として考えなければならない。もっとも、資金調達に制約の多い会社は、コロナ・ショックやウクライナ・ショックのように、将来の予期せぬリスクに備えるため、運転資金以上の現金を保有しなければならないニーズもあり、これはアカデミックの世界でも研究が進展している。

その保有目的は、運転資金なのか、M&Aや設備投資などの投資の原資なのか、もしくは将来の予期せぬリスクへの備えなのか、今一度考えてみてもよいかもしれない(「コーポレートガバナンスを考える 現金保有は善か悪か」参照)。

価値創造の要である投資とROICの使い方

このように、株主の提案や質問への回答は、価値創造の原則に帰結するケースが多いが、投資家の最大の関心はそれをどう実現するかである。この具体案を総会で回答することは少ないと思われるが、その要は「投資」であることは論を俟たない。なぜなら、投資は「ROIC」だけではなく、「成長」の要因でもあるからである。総会で「ペイアウト」よりも「投資」に配分すると回答する経営者が多いことはこの証左である。

その投資を評価する指標であるROICについては、対応する資本コストは2018年に改訂された「コーポレートガバナンスコード」公表後、日本の上場会社にも浸透してきたが(「コーポレートガバナンスを考える 株主提案から考える企業価値の創造(中)」参照)、2020年7月に公表された経済産業省の「事業再編実務指針」で推奨され、2019年3月に公表された金融庁の「記述情報の開示に関する原則」でも有価証券報告書の経営上の目標の達成状況を判断するための客観的な指標等(KPI)として例示された。

スタンフォードビジネススクールのLarcker教授らの調査によると、米国とカナダの機関投資家の77%が経営者の業績評価指標としてROICが適切であると回答し、米国の会社では近年、経営者の報酬指標としてROICを採用するケースが増加している。

出所:Larcker et al. (2016)

日本でも、アクティビストが株主であるリコーやオリンパスが業績評価指標としてROICを使用し、これをバリュードライバーやKPIに分解し、現場でPDCAしている会社も増えてきた(「バリュエーションを考える 平時におけるバリュエーションのすすめ」参照)。

しかし、ROICと成長の両立、すなわち、「収益性の高い成長(Profitable Growth)」はパラドックスがある。

なぜなら、成長機会への投資は当初、ROICを低下させ、ROICを上げるためのコスト削減努力は通常、成長機会への投資にマイナスの影響を与え、このパラドックスから抜け出す唯一の方法はイノベーションであるが、これも簡単ではないからである。

高ROIC戦略か、高成長戦略か

そこで、高ROIC戦略か、高成長戦略か、いずれかを選択するか問題となる。米国Mckinsey & Companyの1995年から2005年の米国企業を対象とした調査によると、当初のROICが高い企業群については、最も価値創造(10年間のTSRで測定)が大きかったのは高ROICを維持しつつ高い成長をした企業群であったものの、次に価値創造が大きかったのは、ROICを上昇させたが成長率が低かった企業群ではなく、多少ROICを低下させても高成長だった企業群であり、当初のROICが低かった企業群については、低成長のままROICを向上させた企業群の方が、ROICが低いまま高成長した企業群よりも価値創造が大きかった。

すなわち、ROICが高い会社は「成長」に専念し、ROICが低い会社は、成長をする前に「ROIC」の向上に専念したほうが企業価値の創造につながっている。

また、2つの戦略を選択するためには、定量的な分析が必要であるため、米国では、パーセントであるROICではなく、絶対額であるエコノミックプロフィット(投下資本×エコノミックスプレッド〔ROIC-WACC〕)を指標とする会社も多いところ、ROICやエコノミックプロフィットは、単年度の業績評価指標としては欠陥があるため、設備投資や減価償却費の年次変動が比較的小さく、M&Aや減損等による投下資産の評価替えの影響が小さい会社では有効であるものの、そうでない会社では、ROICをマージンと資本効率に分解して、資本効率を営業キャッシュフローやフリーキャッシュフローなど代替的な指標で測ることを検討すべきとの指摘や、ROICやエコノミックプロフィットは、投資家の視点に基づいているため、「事業」の業績評価指標としては有益であるものの、経営者の視点の中心にある「管理者」の業績指標としては適していないため、管理者が管理可能な利払い前・税引き前・減価償却前利益(Earnings Before Interest Taxes Depreciation and Amortization; EBITDA)が有益との指摘がある。

現に、ソニーは2021年、中期経営計画の主要な業績評価指標を「ROE」から「調整後EBITDAの3年間の累計額」に変更し、その理由を「投資を促す指標であるから」と回答している。

ROICについては、業績評価指標として使用するケースが増加しているが、高ROIC戦略と高成長戦略、そのいずれかを選択すべきか、ROICやエコノミックプロフィットは業績評価指標として機能しているか、今一度考えてみてもよいかもしれない。

定時株主総会は、その準備に膨大な時間を要するが、株主の提案や質問から得るものも多い。なぜなら、価値創造の基本原則に立ち戻り、投資家から「調達」した資金を何に「投資」し、フリーキャッシュフローを生み出し、投資家に「ペイアウト」するかというキャピタルアロケーションを考えさせられる内容が多いからである。そして、M&Aがキャピタルアロケーションの有力なツールであることは論を俟たない。

定時総会終了後は、企業価値創造プロセスに関する情報が多い有価証券報告書や統合報告書を開示し、秋から冬にかけ、説明会や対話でフォローアップする会社が多いと思われる。日本はPBRが1倍割れの会社が上場会社の半数前後に達し、株価指数も欧米と比べて劣後しているが、総会で得たことを真摯に受け止め、考えて、今後の事業や財務の戦略やガバナンスに活かすことができれば、魅力的な会社、そして、中長期的な目線のペイシェント・キャピタル(辛抱強い資本)が増加し、日本の株式市場も復活するかもしれない。

<参考文献>
石橋善一郎(2021)「FP&Aとは何か」企業会計73巻12号97-104頁
伊藤彰敏(2021)「非事業用資産」鈴木一功=田中亘編著『バリュエーションの理論と実務』(日本経済新聞出版)298-308頁
田村俊夫(2020)「第3回事業再編研究会意見書」経済産業省「第3回事業再編研究会」資料12
Larcker, D. F., Sheehan, B., Tayan, B. (2016) The 'Buy Side' View on CEO Pay (September 1, 2016). Rock Center for Corporate Governance at Stanford University Closer Look Series: Topics, Issues and Controversies in Corporate Governance No. CGRP-60.
Koller, Tim et al., McKinsey & Co. (2020) VALUATION: Measuring and Managing the Value of Companies(Wiley, 7th ed.).

文:吉村一男