【ルネサスエレクトロニクス】撤退戦から「反撃の買収戦」に挑む

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国産ロジック半導体の「最後の砦」であるルネサスエレクトロニクス<6723>はM&Aで誕生した。しかも、その生い立ちは暗い。平成がスタートした1989年には世界半導体売上高で上位10社中6社が日本企業だったが、2000年には3社に、2020年にはメモリー半導体のキオクシア(旧東芝メモリー)1社が10位に入るだけ。30年余りで日本企業の撤退が相次いだ。その「撤退戦」を引き受けたのがルネサスだった。

「負け組」となった日立と三菱電機の半導体事業を統合

同社は2003年4月に日立製作所<6501>が本体から切り離したシステムLSIやマイコン、DRAM以外のメモリーといった事業と、同じく三菱電機<6503>が切り出したマイコン部門を統合した「ルネサス テクノロジ」として産声をあげる。統合当初の売上高は約7000億円で国内トップ、世界でも米インテル、韓国サムスン電子に次ぐトップ3メーカーとなった。

設立当初は日立時代に開発が始まった組み込み機器用32ビットRISC(最小命令セットコンピューター)アーキテクチャーを採用したマイコン「SuperH(SH)」シリーズが大ヒット。1994年にはセガ(現セガサミーホールディングス)<6460>の家庭用テレビゲーム機「セガサターン」や、携帯電話、カーナビゲーションシステム(カーナビ)に採用され、高機能と省消費電力で高い競争力を誇った。

しかし、カーナビ以外では新興の英ARMが開発したARMアーキテクチャーを採用したマイコンにシェアを奪われる。2001年には組み込み機器でのSHシリーズのシェアは6.8%にまで落ち込み、70%近いシェアを獲ったARMの後塵を拝することになった。

さらにはグローバル市場での競争激化により、半導体価格は下落。ルネサスの2006年度売上高は9526億円と1兆円に迫ったが、営業利益はわずか235億円。売上高営業利益率は2.47%と、薄利多売で利益が出ない状態に陥った。

半導体市場の競争激化で「利益が出ない」状況に(同社ホームページより)

それでもなんとか黒字を保てたのは、自動車と携帯電話向けの半導体が好調だったから。しかし、2008年のリーマン・ショックで「頼みの綱」だった自動車・携帯電話業界からの受注も止まり、2008年度には965億7300万円もの営業赤字に転落する。

リーマン・ショックで、NECエレとの「弱者統合」に

そこで、同期に683億5500万円の営業赤字に陥ったNECエレクトロニクスとの経営統合話が持ち上がった。NECエレクトロニクスも2002年11月にNEC本体からシステムLSIやマイコン、DRAM以外のメモリーなどを切り出して誕生した会社。任天堂<7974>の「ゲームキューブ」や「Wii」、米マイクロソフトの「Xbox 360」向けのマイコンで業績を伸ばすなど、歴史も似ていた。

2010年4月にルネサス テクノロジとNECエレクトロニクスは経営統合。存続会社はNECエレクトロニクスで、社名を「ルネサス エレクトロニクス」に変更する。しかし、このM&Aで新会社の業績は好転しなかった。新生ルネサスは利益を出すために「選択と集中」を推進する。

2010年に40nm世代の先端プロセス開発から撤退。従来技術で対応可能な自動車・携帯電話向けの半導体に力を入れることにした。その結果、後に高い利益を生む最先端のSoC(1個の半導体チップ上にシステムの動作に必要な機能を実装する)やマイコンを提供できなくなった。経営不振の元凶だったはずの「薄利多売」に特化したのである。

2011年にはNTTドコモと共同で「ガラケー」とも呼ばれるフィーチャーフォン(多機能携帯電話)向けのSoCを開発。しかし、すでにスマートフォン(スマホ)の急速な普及でガラケー市場は崩壊。完全な読み違いだった。ドコモとルネサスに追随してガラケーに傾注した国産携帯電話メーカーはスマホ市場で出遅れ、撤退が相次いだ。

お得意様だった国産携帯電話メーカーの多くが消えたことで、ルネサスも2011年に携帯電話の送信機などに使われるパワーアンプICの後工程を担当していた小諸工場(長野県小諸市)とパワーアンプ事業を村田製作所<6981>に売却。残った資産も2013年にブロードコムに売却し、ルネサスは携帯事業から撤退する。

自動車向け半導体も、2011年3月の東日本大震災で車載システムLSIの主力拠点だった那珂工場(茨城県ひたちなか市)をはじめ8工場が操業を停止。そのあおりで自動車メーカーも生産停止に追い込まれた。こうした不運が重なり、ルネサスは事業売却を加速する。2013年には車載用以外のSoC事業から撤退。家庭用テレビゲーム機向けの半導体を生産していた鶴岡工場(山形県鶴岡市)を2014年にソニーセミコンへ売却した。

大型M&Aで「成長戦略」を描く

それでもルネサスの業績は回復しなかった。2010年のルネサス テクノロジとNECエレクトロニクスの合併時に、母体だった日立・三菱・NECの3社から受けていた2063億円の資金援助も底をつき、2012年10月には先の3社と取引銀行から合理化資金として計970億円を調達する。

経営が行き詰まったルネサスは、米コールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)への身売りを検討する。しかし、車載マイコンの大口顧客であるトヨタ自動車<7203>が、外資への売却で車載用半導体の安定供給が損なわれるとの懸念から反対。経済産業省が主導して、産業革新機構とトヨタ、日産自動車<7201>など9社の官民連合から1500億円の支援を受けて経営再建に取り組むことになった。

その結果、産業革新機構の持ち株比率が69.16%となり、事実上国有化される。一方、日立・三菱・NECの持ち株比率は10%未満となり、ほぼ縁は切れた。一連の経営支援と徹底したリストラで、2013年度にルネサス エレクトロニクスの発足以来、初の営業黒字を計上する。

リストラで生産拠点を絞り込んだルネサス(同社ホームページより)

経営安定化のため、ルネサスが選んだのがM&A戦略だ。2015年6月にオラクル社長からルネサスに転身した遠藤隆雄会長兼最高経営責任者(CEO)が、自動車をはじめとする産業向け半導体大手の独インフィニオン・テクノロジーズとの資本提携を模索する。だが、これに日産出身の志賀俊之産業革新機構会長や自動車業界がKKRへの身売り同様に猛反発し、遠藤CEOはわずか半年で退任。インフィニオンとの資本提携は頓挫した。

志賀産業革新機構会長の肝いりで2016年6月に日産系自動車部品メーカーのカルソニックカンセイ(現マレリ)社長や日本電産<6594>副社長を歴任した呉文精社長兼CEOが就任すると、同9月に米アナログ半導体大手インターシルの買収を発表し、2017年2月に3228億円で完全子会社化する。

2018年9月にはセンサーやコネクティビティー(相互接続性)、ワイヤレスパワー(ワイヤレス充電)を中心としたアナログ半導体製品を手がける米Integrated Device Technology, Inc.(IDT)の買収を発表し、2019年3月に7330億円で完全子会社化した。

合わせて1兆円を超える超大型M&Aを実施したにもかかわらず、明確なシナジー効果が見えなかったため、2018年からルネサスの株価が再び低迷する。

純資産を上回る「のれん」

これを嫌気して産業革新機構が2019年6月に呉CEOを退任させ、後任として2012年8月に日立と日産のフォークリフト事業を統合してユニキャリア(現三菱ロジスネクスト)<7105>を立ち上げた産業革新機構出身の柴田英利社長兼CEOが就任した。

柴田社長兼CEOは呉前社長兼CEOの片腕としてインターシルとIDT買収を陣頭指揮している。2021年にはアナログ半導体を手がける英ダイアログ・セミコンダクターを約6157億円で買収すると発表し、M&Aによる成長路線を堅持する構えだ。

M&Aによる成長戦略と世界的な半導体不足による好調な需要を受けて、ルネサスの株価は上昇している。9月27日には年初来最高値となる1477円をつけた。株式市場はルネサスのM&Aを好感している。

とはいえ、ルネサスの前途は多難だ。この5年間の巨額M&Aに伴う「のれん」代は、ルネサスの純資産9758億円を上回る1兆円超に達している。ルネサスは国際会計基準(IFRS)を採用しており、のれんを償却する必要はない。その代わり、のれんの「根拠」となる収益力や両社のシナジーが毀損していないかを確認する「減損テスト」が課される。

テストの結果、「のれんの価値がない」と判定されると、一気に減損しなくてはならない。仮にのれんの大幅な減損処理を迫られた場合、債務超過に陥る可能性もある。ルネサスのM&Aによる成長戦略が成功するかどうかは、巨額買収した3社の業績とルネサスとのシナジー効果にかかっている。

買収した子会社とのシナジー効果を生かせるか?(同社ホームページより)

関連年表

年 月 出 来 事
2002年11月 日本電気㈱の汎用DRAMを除く半導体事業を会社分割により分社化し、日本電気㈱の100%子会社として神奈川県川崎市にNECエレクトロニクス㈱を設立
2003年7月 東京証券取引所市場第一部に株式を上場
2004年5月 山形日本電気㈱の高畠工場における後工程部門を、台湾のASEグループに売却
2004年7月 当社から試作部門を分社化し、試作サービスの提供を主業務とするNECファブサーブ㈱を設立
2004年10月 NECセミコンダクターズ九州㈱に山口日本電気㈱の組立および検査工程(後工程)を統合し、NECセミコンパッケージ・ソリューションズ㈱に社名変更
2005年1月 山形日本電気㈱において300㎜ウエハ製造ラインの量産稼働開始
2005年10月 首鋼NECエレクトロニクス社の半導体開発および販売部門を北京NEC集成電路設計有限公司に統合し、NECエレクトロニクス中国社に社名変更
2006年4月 NEC化合物デバイス㈱を簡易合併方式により当社に吸収合併
2006年9月 韓国における営業拠点としてNECエレクトロニクス韓国社を設立
2006年9月 NECセミコンダクターズ・アイルランド社の組立および検査工程(後工程)ラインを閉鎖
2006年11月 NECデバイスポート㈱を簡易合併方式により当社に吸収合併
2007年6月 NECファブサーブ㈱のフォトマスク事業を大日本印刷㈱へ譲渡
2007年10月 NECセミコンダクターズ・インドネシア社の組立および検査工程(後工程)ラインを閉鎖
2008年4月 九州日本電気㈱は、山口日本電気㈱およびNECセミコンパッケージ・ソリューションズ㈱を吸収合併し、NECセミコンダクターズ九州・山口㈱に商号変更
関西日本電気㈱は、福井日本電気㈱を吸収合併し、NECセミコンダクターズ関西㈱に商号変更
山形日本電気㈱は、NECセミコンダクターズ山形㈱に商号変更
2010年4月 ㈱ルネサステクノロジと合併し、ルネサスエレクトロニクス㈱に商号変更(注)
2010年11月 ノキア・コーポレーションよりワイヤレスモデム事業を譲受
2010年12月 モバイルマルチメディア事業(ノキア・コーポレーションから譲り受けたワイヤレスモデム事業を含む。)を吸収分割によりルネサスモバイル㈱に承継
2011年5月 ルネサス エレクトロニクス・アメリカ社の前工程ライン(ローズビル工場)をドイツのテレファンケン社に譲渡
2012年2月 ブラジルにおける販売支援拠点としてルネサス エレクトロニクス・ブラジル・サービス社の営業を開始
2012年3月 パワーアンプ事業および㈱ルネサス東日本セミコンダクタ長野デバイス本部の事業を㈱村田製作所へ譲渡
2012年7月 ㈱ルネサス北日本セミコンダクタの前工程ライン(津軽工場)を富士電機㈱に譲渡
2013年1月 ㈱ルネサスハイコンポーネンツの全株式をアオイ電子㈱に譲渡
2013年6月 ㈱ルネサス北日本セミコンダクタ、ルネサス関西セミコンダクタ㈱および㈱ルネサス九州セミコンダクタの組立および検査工程(後工程)ライン(函館工場、福井工場および熊本工場)ならびに北海電子㈱の製造支援事業を㈱ジェイデバイスに譲渡
2013年9月 ㈱産業革新機構、トヨタ自動車㈱、日産自動車㈱、㈱ケーヒン、㈱デンソー、キヤノン㈱、㈱ニコン、パナソニック㈱および㈱安川電機を割当先とする第三者割当増資を実施
2013年10月 ルネサスエレクトロニクス販売㈱を簡易合併方式により当社に吸収合併
ルネサスマイクロシステム㈱は、㈱ルネサスデザインを吸収合併し、ルネサスシステムデザイン㈱に商号変更
ルネサス武蔵エンジニアリングサービス㈱は、ルネサス北伊丹エンジニアリングサービス㈱およびルネサス高崎エンジニアリングサービス㈱を吸収合併し、ルネサスエンジニアリングサービス㈱に商号変更
㈱ルネサス北日本セミコンダクタは、㈱ルネサス東日本セミコンダクタを吸収合併
ルネサス モバイル・ヨーロッパ社およびルネサス モバイル・インド社の全株式をブロードコム・コーポレーションに譲渡
2013年11月 首鋼NECエレクトロニクス社の当社持分を首鋼総公司に譲渡
2014年2月 インドにおける営業拠点としてルネサス エレクトロニクス・インド社を設立
2014年3月 ルネサス山形セミコンダクタ㈱の前工程ライン(鶴岡工場)をソニーセミコンダクタ㈱に譲渡
2014年4月 半導体前工程製造事業に関し、ルネサス関西セミコンダクタ㈱を存続会社として、当社の半導体前工程製造事業、ルネサスセミコンダクタ九州・山口㈱の半導体前工程製造事業、㈱ルネサス北日本セミコンダクタの結晶事業、ルネサス甲府セミコンダクタ㈱、㈱ルネサス那珂セミコンダクタ、㈱ルネサス セミコンダクタエンジニアリングおよびルネサス山形セミコンダクタ㈱を吸収分割および吸収合併にて集約し、ルネサス セミコンダクタマニュファクチュアリング㈱に商号変更
半導体後工程製造事業に関し、ルネサスセミコンダクタ九州・山口㈱を存続会社として、当社の半導体後工程製造事業、㈱ルネサス北日本セミコンダクタ、㈱ルネサス柳井セミコンダクタ、羽黒電子㈱、北海電子㈱および㈱ルネサス九州セミコンダクタを吸収分割および吸収合併にて集約し、ルネサス セミコンダクタパッケージ&テストソリューションズ㈱に商号変更
2014年10月 ルネサスモバイル㈱を簡易合併方式により当社に吸収合併
㈱ルネサスエスピードライバの当社が保有する全株式を米国シナプティクス社の欧州子会社に譲渡
2015年4月 当社のデバイスソリューション開発機能を簡易吸収分割方式により㈱ルネサス ソリューションズへ移管
当社の開発支援機能を簡易吸収分割方式によりルネサス エンジニアリングサービス㈱へ移管
㈱ルネサス ソリューションズのキット、プラットフォーム、分野ソリューションおよび拡販インフラの各開発機能などを簡易吸収分割方式により当社に移管
㈱ルネサス ソリューションズは、ルネサス システムデザイン㈱を吸収合併し、ルネサス システムデザイン㈱に商号変更
2016年2月 ルネサス セミコンダクタマニュファクチュアリング㈱の滋賀工場の一部(8インチウェハ製造ライン)をローム滋賀㈱に譲渡
2016年6月 ルネサス エレクトロニクス・シンガポール社を存続会社として、同社とルネサス セミコンダクタ・シンガポール社を合併
2017年2月 米国Intersil Corporation(以下「インターシル社」)の全株式を取得し、同社を当社の子会社化
2017年5月 ルネサス セミコンダクタパッケージ&テストソリューションズ㈱の受託開発・製造および画像認識システム開発・製造・販売事業を日立マクセル㈱に譲渡
2017年7月 ルネサスシステムデザイン㈱を簡易合併方式により当社に吸収合併
2018年1月 インターシル社は、ルネサス エレクトロニクス・アメリカ社を吸収合併し、ルネサス エレクトロニクス・アメリカ社に商号変更
2018年8月 保有する㈱ルネサスイーストンの株式を一部売却し、当社の持分法適用関連会社から除外
2018年10月 ルネサス セミコンダクタマニュファクチュアリング㈱の高知工場を丸三産業㈱に譲渡
2019年1月 ルネサス セミコンダクタパッケージ&テストソリューションズ㈱を簡易合併方式により当社に吸収合併
2019年3月 米国Integrated Device Technology, Inc.(以下「IDT社」)の全株式を取得し、同社を当社の子会社化
2020年1月 IDT社は、ルネサス エレクトロニクス・アメリカ社を吸収合併し、ルネサス エレクトロニクス・アメリカ社に商号変更

(同社有価証券報告書より)

この記事は企業の有価証券報告書などの公開資料、また各種報道などをもとにまとめています。

文:M&A Online編集部