ファンドに売却される西武のホテル名はなぜ「プリンス」なのか?

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西武ホールディングス(HD)<9024>がホテルやレジャー施設など約30件の施設を、シンガポール政府系投資ファンドのGICに売却するとの報道が駆け巡った。売却されるホテルは「プリンスホテル」のブランドで全国展開している。西武は、なぜ自社のホテルチェーンに「プリンスホテル」と名付けたのか?

旧皇族の別邸を買収

西武HDの前身である西武鉄道のホテル部門が1971年に独立し、プリンスホテルとして活動を開始した。もっともこれは企業名の話。ホテルブランドとしては、1948年に西武創業者の堤康次郎氏が買い取った長野県軽井沢町の別荘に「プリンス・ホテル」と名付けたのが始まりだ。

西武鉄道とプリンスホテルの2本柱が西武HDを支える(同社ホームページより)

この別荘は1928年に完成し、旧皇族・朝香宮家の沓掛別邸として利用されていた洋風建築。堤氏は、この別邸を皇太子明仁親王(現・上皇)に避暑宿泊所として提供。事実上の皇室専用ホテルとして活用された。堤氏が皇籍離脱で生活に困窮した朝香宮家から、別邸を買い叩いたとも伝えられる。

しかし、朝香宮家は白金台の本邸を外務大臣公邸として貸し出し、熱海の別荘に移住。株式投資や木材会社に投資するなど、資産運用にも手を出している。投資で大きな利益は得られなかったが、損切りの決断も早かったため財産を失うことはなかったという。不動産の売却益や賃貸料、皇籍離脱の一時金などで経済的に余裕があり、堤氏に「買い叩かれた」という逸話には疑問符がつく。

ブランド力の向上と土地買収に役立った

初の「プリンスホテル」は一般営業用ではなかったが、旧皇族の別荘をリニューアルして皇室専用のホテルとなったことで新興ながらホテルブランドとしての知名度が上がった。一般向けの営業はほとんどせず、「広告塔」の役割に徹したホテル史上まれに見る事例と言っていいだろう。

初代「プリンスホテル」は、新たなホテル用地の取得にも貢献した。朝香宮家から土地・建物を買い取ったことから、旧皇族・華族の広大な邸宅や所有地の売却を持ちかけられ、多数の地主相手との交渉なしに都心の一等地にホテルを展開することが可能になったのだ。

1953年にオープンした旧「横浜プリンスホテル」(横浜市、現在は分譲マンション) は東伏見伯爵別邸、1955年にオープンした旧「赤坂プリンスホテル」(東京都千代田区、現「ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町」)は朝鮮王族の李王家東京邸、1978年にオープンした品川プリンスホテル(東京都港区)は毛利公爵邸だった。

毛利侯爵邸に建設した品川プリンスホテル(同社ホームページより)

GICへの売却後も、新たに設立する西武・プリンスホテルズワールドワイド(東京都豊島区)が同ブランドで運営を継続する。「プリンスホテル」の金看板は、引き続き掲げられることになった。これもホテル発祥にまつわる旧皇族・華族たちの華麗なるストーリーがあればこそだろう。

ちなみに「道後プリンスホテル」(松山市)、「水戸プリンスホテル」(水戸市)、「紋別プリンスホテル」(北海道紋別市)などは、西武HDとは関係がない独立系の「プリンスホテル」だ。これらのホテルは西武HDが「プリンスホテル」を商標登録した1992年以前に開業しており、名称使用の差し止めを求めなかったという事情がある。

文:M&A Online編集部

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