家庭の常備薬に必ずと言っていいほど入っている「正露丸」。その商品名の由来がロシアであることをご存知だろうか?「正露丸」の「露」とは露西亜(ロシア)の頭文字をとったもの。なぜ、日本の家庭薬のネーミングに「ロシア」が採用されたのか?
「正露丸」の原型は、1830年にドイツの化学者カール・ライヘンバッハ氏、ヨーロッパブナから採った木クレオソートを蒸留した薬品。当初は化膿傷の治療に使われたが、後に高い殺菌効果から食肉の保存防腐剤や胃腸薬として利用されることに。江戸時代後期の1839年に長崎のオランダ商館長が日本に持ち込み、「結麗阿曹多(ケレヲソート)」と呼ばれた。
日清戦争で不衛生な水を飲んだことによる感染症の拡大に悩まされた日本陸軍は、クレオソート剤にチフス菌の抑制効果があることを発見した。『明治三十七八年戦役陸軍衛生史』によると、1904(明治37)年の「(日露)戦役ノ初メヨリ諸種ノ便宜上結列阿曹篤(クレオソート)ヲ丸トシテ之ヲ征露丸ト名ケ出世者全部ニ支給」して服用させた。「征露丸」とは、「ロシアを征する丸薬」という意味だ。
「征露丸」の服用により、下痢や腹痛で戦闘不能になる兵士は激減したという。軍医は「征露丸」を脚気の治療薬としても投与した。こちらには全く効果がなく、日露戦争の全将兵の3分の1に当たる約25万人が脚気に罹(かか)り、2万7800人が死亡している。
軍隊での「征露丸」の配給は、日露戦争が終結した翌年の1906年に廃止されたが、戦勝ムードに乗って一般家庭に普及した。戦前は中島佐一薬房が「忠勇征露丸」の商標を持っていたが、1946年に「忠勇征露丸」の製造・販売を大幸薬品<4574>が引き継いだ。
1949年には敗戦国の日本が戦勝国のロシアを「征する」という商標は問題だとの行政指導を受け、「忠勇征露丸」も「中島正露丸」に商標を変更している。
大幸薬品は1954年に「正露丸(セイロガン)」の独占的使用権を主張して、商標登録を実施した。これに戦前から「正露丸」を製造する他の家庭薬メーカーが猛反発して、1955年に特許庁に無効審判を請求する。特許庁は1960年に申立不成立の審決を下して大幸薬品の商標登録を認めたことから、原告の同業者は東京高裁に審決取消訴訟を起こす。
東京高裁は1971年に「正露丸」は整腸剤の一般的な名称として国民に認識されていたと判断し、特許庁が下した審決を取り消し、商標登録を認めない判決を下す。同判決は1974年に最高裁で確定した。これを受けて特許庁が1975年に「正露丸(セイロガン)」の登録を無効とした。
ただ「セイロガン」の振り仮名のない「正露丸」の商標は認められており、大幸薬品が保持している。とはいえ最高裁判決で「正露丸」が普通名称であると認定されたことから、他社が「正露丸」の商標で販売しても、権利侵害には問われない。
実際、大幸薬品が「正露丸」を商標として使い、類似したパッケージの商品を販売しているとして和泉薬品工業に損害賠償を求めた裁判では、2006年に大阪地裁が請求を棄却。大幸薬品は同年に控訴したが、大阪高裁も一審判決を支持。2008年には最高裁で上告不受理となり、大幸薬品の敗訴が確定した。
現在は、大幸薬品と和泉薬品工業のほか、富士薬品や大阪医薬品工業、本草、キョクトウなどが「正露丸」の商品名で販売している。
文:M&A Online編集部
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