意外な子会社 全国津々浦々「ぶらりM&A路線バスの旅」

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滋賀・近江八幡駅前のバスターミナル

最近、テレビの旅番組で「バス旅」が人気のようだ。漁師町や里山、さらにその奥へと向かうバスの旅。それぞれの土地の人との素朴な出会いが郷愁を誘い、誰にも会わない寂寥感もまた妙に味がある。

実はこの路線バスは地方銀行と同様に、この春に議論を本格化させた未来投資会議(議長・安倍晋三首相)のメインテーマの1つである。会議では、特定の事業の経営統合を認めやすくする論議が進んでいる。

そこで、これまでM&Aが進められてきた“先輩格”の路線バスの例をいくつか挙げてみた。まさに、全国津々浦々「ぶらりM&A路線バスの旅」。ここに挙げたバス会社以外にも、きっと、「え、あのバスがこの会社の子会社だったの?」とびっくりする例があるだろう。路線バスのM&Aは、まさにいま急速に進んでいる!

山口の「防長バス」は近鉄グループ

山口・萩市内を走るコミュニティバス(サトチ/写真ac)

防長バス(防長交通)は、山口県を中心に走る路線バス。萩・津和野、秋芳洞、青海などの風光明媚な主要観光地を結んでいる。1935年に防府自動車として事業をスタートしたが、実は1968年と早い段階で、当時の近畿日本鉄道(現近鉄グループホールディングス)<9041>の傘下に入った。

非上場なので正確な持株比率はわからないが、現在は防長交通の約6割の株式を、バス事業を統括する近鉄グループの持株会社の近鉄バスホールディングスが所有している。また、防長バスは、萩では町のコミュニティーバスの運行を委託されるなど、地元の足としても貢献している。

宮城の「ミヤコーバス」は名鉄・全国制覇の名残?

「ミヤコー」の愛称で、宮城県一円に路線が延びる宮城交通バス。仙台を中心に、蔵王や松島などの近郊観光地をはじめ、隣県にも路線が延びる中長距離路線を運行する地域有力バス会社だ。だが、宮城交通としての設立は比較的新しく、といっても50年ほど前の1970年、宮城県内を走る宮城バス・宮城中央バス・仙南交通が経営統合(新設合併)して誕生した。

この宮城交通の筆頭株主は愛知県本社の名古屋鉄道<9048>。名鉄グループの一員ということになる。名古屋鉄道が経営参加したのは1975年のことだ。勝手な想像だが、本州の一大拠点、名古屋さらに東海地方を制した名鉄では、関東を越え東北制覇の足がかりとして仙台に進出した、その名残かもしれない。

実は、この宮城交通は数多くのM&Aを経て現在の姿になっている。例えば、「ミヤコー」の愛称で知られるミヤコーバスは、宮城交通の完全子会社という位置づけになる。見た目は全部「ミヤコーバス」だが、宮城交通の路線バスとミヤコーバス株式会社の路線バスが共存するという事業形態にもなっている。

そのミヤコーバスの前身は、ミヤコーグループの宮交気仙沼バス株式会社である。かつて宮城交通が経営不振に陥り、傘下の赤字バス子会社6社を整理する際に、黒字だった宮交気仙沼バスが6社のバス事業を譲り受けて6社は清算することとなった。その宮交気仙沼バスがミヤコーバスという名称で、宮城交通の子会社として事業を行っているということになる。

三重・三岐鉄道沿線の「三岐バス」は太平洋セメントの子会社

藤原岳の麓を走る三岐鉄道(ポニー/写真ac)

三重県の北勢地域を走る三岐バス。同地域を走る三岐鉄道の周辺地域を路線バスが走り、その路線は四日市市街と結ばれている。三岐鉄道が本流なら、三岐バスはその本流につながる支流のような関係だ。

三岐鉄道は三重と岐阜の関ヶ原を結ぶことを目的としてつくられ、三岐線と北勢線の2路線が主要路線である。このうち、北勢線はかつて近鉄が所有していたが、2003年に近鉄から路線を譲り受けた。

三岐バスは三岐鉄道のバス事業部門という位置づけで、その三岐鉄道の親会社は太平洋セメント<5233>である。セメントの原料となる石灰岩の採掘において、東の武甲山と西の藤原岳は有名だが、秩父鉄道が武甲山のセメント(石灰岩)の運搬列車として活躍したように、三岐鉄道は鈴鹿山脈の藤原岳のセメントの運搬列車として活躍した。

三岐バスは1929年、もともと三重自動車というバス会社が運行していた路線の経営権を三岐鉄道が譲り受けたのが始まりである。三岐バスと呼ばれるようになってからも、藤原岳の麓・いなべから四日市につながる地域住民の生活を支え続けてきた。

福島・「新常磐交通バス」の経営を継いだのはタクシー会社

福島県の太平洋岸に南北に延びる浜通り(地域)。新常磐交通はいわき市をはじめ、その浜通りを走る路線バスを運行している。社名からも推察できるように、かつて常磐交通(自動車)という会社があり、経営不振などが響き、2006年、子会社の常交中小型自動車という会社に営業を譲渡した。そして、社名を新常磐交通に変更した。

いわば新旧分離方式による特別清算での会社再建だが、そのスキームを進めるにあたって、東京の大手タクシー会社であるグリーンキャブが新常磐交通の経営を継いだ。現在、新常磐交通はグリーンキャブの完全子会社という位置づけになる。

グリーンキャブとしては1988年、長野県の小諸、佐久、東御、上田などいわゆる東信地域に路線を展開する千曲バスを傘下に置いたが、それに継ぐ事業の多角化である。

滋賀・湖国を走る「近江鉄道バス」のレオ

滋賀県の湖東地区を中心に路線網を展開する近江鉄道バス。その親会社は西武鉄道<9024>である。近江鉄道が西武鉄道の完全子会社となったのは、実は最近で2016年のこと。近江八幡や彦根などの湖東地区を西武鉄道バスが縦横に走る姿は、関東に住む人にはちょっとした新鮮な驚きだ。

この近江鉄道バスの子会社に湖国バスがある。湖東地区でも主に、彦根から北、滋賀県北部を営業エリアとし、その路線を棲み分けている。

「なぜ、滋賀県に西武が?」と思う人もあるかもしれないが、滋賀県は西武王国の創始者・堤康次郎の生誕の地。近江鉄道はもともと堤がM&Aした数多くの鉄道会社の1つだったのだ。

労働組合傘下にある「本四海峡バス」

淡路島と徳島をつなぐ大鳴門橋(幸せ新聞/写真ac)

関西と四国を結ぶ明石海峡を走る本四海峡バス。会社としては鱗状斑点(シリカスケール)防止装置やウォーターコート装置を主事業とする本海商事の子会社である。その本海商事は、全日本海員組合のグループ会社という位置づけになる。そのため、本四海峡バスは全日本海員組合という労働組合が持つ事業会社ということになる。現在は、本四海峡バスの株式の過半数を全日本海員組合が所有している。

全日本海員組合は日本の海事関連産業の従事者で組織する日本の主要な産業別労働組合の1つ。明石海峡大橋・大鳴門橋ができて本州・四国を結ぶフェリーが廃止された際、同地の船舶会社の離職者対策として設立されたのが本四海峡バスだ。

雇用対策として生まれたバス会社はほかにもある。たとえば、1997年、東京湾アクアラインができた際に、神奈川県川崎市と千葉県木更津市の間を結ぶマリンエキスプレスのフェリー(木更津航路)が廃止された。その際にフェリー従業員の雇用確保のために、東京ベイサービスというバス会社が設立された。それも同様の誕生の経緯を持つバス会社といってよいだろう。

文:M&A online編集部