ミッション・ビジョン・パーパス|M&Aに効く論語8

alt
nortonrsx/iStock

 五常(仁、義、礼、智、信)の全体の関係を考えながら、さらに論語が私たちに語りかけてくる生き方、さらにはビジネスの道筋を考えていきましょう。

子張問崇徳辯惑、子曰、主忠信徒義、崇徳也、愛之欲其生、悪之欲其死、既欲其生、又欲其死。是惑也、誠不以富、亦祇以異(巻第六 顔淵第十二)

 弟子の一人、子張が「徳を高め、迷いをなくしたい」と師である孔子に質問したときです。孔子は、「誠と信を第一にして義へ向えば、徳を高めることになる。多くの人は、ある人を愛しているときは生きてほしいと思い、その人が悪い人になれば死んでほしいと思うものだ。だが、生きてほしいと思っておきながら、死んでほしいと思うのは、迷いそのものではないか」と。

 こうした本質から逸れた思いに捕らわれていくことが、そもそも私たちを混乱に陥れ、判断を誤ることにつがなるのでしょう。そのために「誠と信で本質を見抜き、義へと進め」と孔子は弟子に告げたのではないでしょうか。

 では、ここで前回から少しずつ明らかになってきた「義」の正体をもう少しビジネスで活用できるように考えていきましょう。

ミッション・ビジョン・パーパス

 前回「M&Aに効く論語7」で、「仁が自分の中から出てきたミッション・ビジョンであるのに対して、義はそれ以前に、すべきことがあるだろう、と示唆しています」と書きました。ですが、まだ「義」についてはピンと来ない。わかったようでわからない。ミッション・ビジョンとくれば、次は目的(パーパス)だろう、と感じた方もいらっしゃるでしょう。

 人を思いやる心、あるいは愛として「仁」をとらえるところからはじまり、それをビジネスに移すとミッション・ビジョンになると考えると、現実に「仁」を対応させることができます。

 さらに「義」を正義とか正道といった概念から、パーパス(目的)へと置き換えることで、私たちにとっての「仁義」がより明確になってくるのではないでしょうか。実際に、企業における、ミッション・ビジョン・パーパスは、そのような相互関係があるはずです。

Natthapon/iStock

「お客様に信頼される、誠実な企業にする」をミッションとしたとき、そのために自分たちはなにをするのかをパーパスとして明確にしていくわけです。

またビジョンは、ミッションを受けてパーパスを実現したときに、自分たちがどのような存在になっているかを示します。

「お客様に信頼される、誠実な企業にする」をミッションとして、では具体的に自分たちがすることは「お客様の健康づくりに貢献する」といったパーパスを掲げることで、ビジョン「社会に不可欠なサービスを提供する企業」を実現していく、といったことが考えられます。

 ミッションやビジョンが対外的に強く発信したい言葉になっているのに対して、パーパスは自分たちの道筋(いわば正義)を示す言葉になっているはずです。

3つのモデルから考える

 最初のモデルです。

モデル1 五常(仁、義、礼、智、信)

 儒教の五常(仁、義、礼、智、信)の関係性を、このような一つの輪として相互に関連していると考えることもできます。ですが、この連載では、すでに次のモデル「仁が中心にある五常」を提示しています。ただ、このままでは、私たちの日常、ビジネスに活かすのはなかなか難しそうです。

モデル2 「仁」が中心にある五常

 仁は、ミッション・ビジョンなので、それを中心にして他の義、礼、智、信が相互に作用するという考え方です。いくら優れたミッション・ビジョンでも、義にかなっているか、礼にかなっているか、智では、信では、どうなのか、と考えながら具体的な行動に落としていくわけです。

 仁を核におくことで、私たちの日常やビジネスにも通じる活用ができそうですね。

 そこで、もう一歩、進めます。連載「M&Aに効く論語6」で孟子が、義は仁から出てきたもので、いわば1つの仁の2つの側面を示しているのではないかとの考えを示唆していました。これが次の図です。

モデル3 「仁義」を中心とする考え

 ミッション・ビジョン、そしてパーパス(目的)が中核にあり、そこに智(知)、信、礼が相互に作用する形です。中核に「仁義」がある。この考えは、渋沢栄一の名著『算盤と論語』を読み解く上でも役に立つにちがいありません。

「論語と算盤」で考える

 渋沢栄一『論語と算盤』(角川ソフィア文庫版)にこのような一節があります。

「真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものではないと私は考える。」(「真正の利殖法」より)

 これは、孟子の「梁惠王上」にある「なんぞ必ずしも利を曰わん、また仁義あるのみ」からきているのです。

 渋沢栄一はとても「仁義」が好きで、この本で何度も何度も出てきます。そもそも、冒頭に根幹として「富をなす根源は何かといえば、仁義道徳」と言い切っているのです(「論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの」より)。

 これを、儒教の中にある封建的な忠心(まごころをこめて勤めを果たす、あるいは国や上の者に仕える)、孝悌(親、兄など目上に尽くし従う)を合わせて考えてしまうと、またしても、私たちの生きている現代にはそぐわないケースが出てきてしまい、とても窮屈な考えになっていきます。

 ミッション・ビジョン・パーパスを、窮屈な、自分たちの行動や発想を縛る掟のようなものにしては、成長は止まります。実際に、どの企業も、しょっちゅうではありませんが、ミッション・ビジョンは変革していきますし、パーパスも時に応じて変化していきます。

 この変化を促すのが、仁義に関与してくる「智」であり「礼」であり「信」だと言えます。つまり、仁義の根幹は普遍性を持っていますが(究極としては「愛」なのでしょう)、それを時機に応じて変化させていくのが、「智、礼、信」なのです。

 主忠信徒義、崇徳也(誠と信を第一にして義へ向えば、徳を高めることになる)ということは、パーパスの設定のために、誠と信を基礎としてほしい、と解釈できるのではないでしょうか。本質に根ざしたパーパスを設定しなければ、結果に結びつかないのです。

 信義、という言葉はこうした意味を持っているのではないでしょうか。真心を持って約束を果たすことを「信義」と言いますが、そこには、信に基づいた義(パーパス)があるのです。

 次回、は「智(知)」と「仁」「義」の関係について、考えていくことにしましょう。

※『論語』の漢文、読み下し文は岩波文庫版・金谷治訳注に準拠しています。

文・舛本哲郎(ライター・行政書士)