ワグネルだけじゃない!独裁者側近集団の没落を経営視点で考える

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「反乱」を起こしたワグネル・グループのプリゴジン氏(Photo By Reuters)

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領を支えてきた露民間軍事会社ワグネル・グループの「反乱」が未遂に終わり、組織解体と幹部の海外追放で決着した。創設者で指導者のエフゲニー・プリゴジン氏はプーチン大統領との強い人間関係を盾に権勢をふるってきたが、ロシア正規軍との確執が深まり最終的にはプーチン大統領から切り捨てられた格好だ。権力者の側近軍事組織が正規軍との対立で切り捨てられるのは珍しいことではない。ナチスドイツでも同様の事件が起こっている。

ワグネルの「前例」だったナチス突撃隊

その組織とは「SA」の略称で知られる「突撃隊」。国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の前身であるドイツ労働者党の集会警備隊として1921年9月に創設された私兵部隊だ。アドルフ・ヒトラー党首の無名時代からの盟友で、ドイツ帝国陸軍を構成するバイエルン王国陸軍大尉だったエルンスト・レームが幕僚長として突撃隊を統率した。

このレームがワグネルのプリゴジン氏に当たる。1933年1月にヒトラー内閣が発足すると、レームとヒトラーとの対立が深まる。ナチスの政敵を攻撃するために過激化して非合法活動も厭(いと)わない突撃隊を、政権を握ったヒトラーが持て余すようになったからだ。

とりわけ深刻だったのは国軍と突撃隊との確執だった。レームはドイツ帝国軍の流れをくみ、依然として貴族階級が主導する当時の国軍では近代戦に対応できないと批判。突撃隊が中核となり、国軍に代わる新たな「国民軍」として再編するよう画策した。

しかし、ヒトラーはレームの要求をはねつけ、突撃隊は国軍入隊者への訓練などに当たる準軍事組織としての役割に徹するよう求めた。これにレームは激しく反発。ついに「ヒトラーのような裏切り者は追い出さねばダメだ。彼を排除した後に我々が権力を握る」との発言まで飛び出した。

これを受けて国軍と、突撃隊の下部組織を起源とするヒトラー護衛組織のナチス親衛隊(SS)がレームの排除に乗り出す。彼らは突撃隊の「武装蜂起計画」をでっちあげ、ヒトラーにレームはじめ突撃隊幹部の粛清を求めた。ヒトラーは盟友でもあるレームの粛清に最後まで消極的で、1934年6月に自ら逮捕しながらも「これまでの功績に免じてレームを許す」と一時は助命を決意する。

ワグネルと突撃隊の「敗因」はPMIの失敗

だが、翌日には側近の猛反対を受け、ヒトラーは苦悩の末に「レームに自決を促し、従わないようなら処刑せよ」との命令を下す。レームは最後まで反逆を否定して、自決を拒否。ついに処刑された。「長いナイフの夜事件」として知られる粛清劇だ。

正規軍との確執、それに対して盟友のはずの独裁者が味方についてくれない苛立ちから激しい批判をし、自らの墓穴を掘るというパターンがワグネルとナチス突撃隊の共通点だ。裏方の「汚れ仕事」を担う組織のトップだったプリゴジン氏とレームが、政治的な表舞台に立ちたいとの野心を持っていたことも共通している。

M&Aに例えれば、プリゴジン氏とレームはPMI(合併・買収後の統合プロセス)に失敗したと言えよう。プリゴジン氏のワグネルは大企業と合併した新進気鋭のベンチャー、レームの突撃隊は大企業を買収した祖業のベンチャーだ。

ワグネルは大企業のワンマン社長からの強い引きで合併に応じ、経営の主導権を握ろうとして大企業側のメンバーから猛反発を食らった。一方、突撃隊は自らが構成員だったベンチャーが大企業を買収したものの、ベンチャーの創業社長が大企業側についてしまい、結局は排除されてしまった構図だ。

ナチスドイツの突撃隊と同じ轍を踏んだワグネルだが、組織名の由来はドイツのロマン主義作曲家リヒャルト・ワーグナーとの説もある。ワーグナーはヒトラーが最も気に入っていた作曲家だったというから、なんとも皮肉な話だ。

文:糸永正行編集委員

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