IPOを目指すスタートアップの成長を加速するM&A活用術と留意点|EY新日本 IPOグループ統括 藤原選氏に聞く(後編)

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近年、スタートアップが上場前にM&Aを活用して事業を多角化・拡大してIPOを目指すケースが増えています。第3回はM&Aを成功に導くための法的スキームや会計処理などについて、EY新日本有限責任監査法人でIPOグループ統括を務める藤原選氏(公認会計士)にアドバイスしてもらった。(前編はこちら)(中編はこちら)

M&A投資が失敗すると「のれん」の減損損失につながる

―スタートアップの場合、どのような買収スキームを使うのが良いのでしょうか。

M&Aには、会社分割、株式交換、株式譲渡、事業譲受、合併、さらには新しい株式交付制度(※1)など、多様な法的スキームがあります。それぞれ複雑で、会計・税務・労務・業法の関係などを考慮しなければならないので、採用するスキームに問題がないかどうか、どのスキームが最適なのかについては、弁護士や税理士、会計士、あるいはM&Aのエキスパートなど、専門家に多面的に相談することをお勧めします。特に、業法が絡んで許認可や届け出が必要な事業の買収は、申請や届け出等が適切に行われないと事業活動が停止になるリスクがあるので、注意が必要です。

また、買収先企業のビジネスリスクも考慮する必要があります。例えば、たくさん在庫を抱えている企業の場合、在庫の陳腐化や過剰・滞留に起因して評価などの問題で損失が出るリスクがあります。そのような在庫リスクを避けるには、思い切って受注生産に切り替えてしまうといったビジネスの商流を再設計する奥の手があります。PMIのプロセスで、ビジネスプロセス自体を変えてリスクヘッジする方法は、覚えておいて損はないと思います。

M&Aで問題になりがちな「のれん」について教えていただけますか。

M&A投資が失敗する際に生じる会計上の問題が、「のれん」の減損です。平たく言えば、高値掴みして投資額を回収できないということです。買収先のビジネスの状況が思わしくないにもかかわらず、当該企業に投資しているVCのリターンを反映した価格で交渉が行われることが原因になることもあります。その見極めができず、高いバリュエーションのまま高値で買収してしまうと、数年後に投資額が回収できない事態に陥り、「のれん」の減損損失が生じてしまいます。

特に、買収先がアーリーステージのスタートアップの場合には目ぼしい資産を持っておらず、投資額のほとんどが「のれん」になってしまうので、その「のれん」は何年で投資回収できるのか、ひいては会計上の償却年数は何年になるかなどをしっかり検討しておくべきです。買収後の損益の出方、すなわち中期事業計画にも影響してきますので。

なお、「のれん」の算定は、買収先企業がスタートアップの場合、貸借対照表(B/S)は税法ベースで作成されていることが多いため、税法ベースのB/Sに対して企業会計で求められる不良資産(債権、在庫等)の評価損、簿外債務のオンバラス(資産除去債務等の未計上の債務の追加計上等)の調整などを行ったうえで算定します。当該修正をすると純資産が減少することが多いので注意が必要です。純資産が減少すると、「のれん」は当初の想定額より増えてしまうので十分検討しないといけません。

1番厄介なケースは、訴訟を抱えている場合や、顕在化していないけれど発生が予見される債務リスクがある場合です。そういうときは、損失の債務計上だけで済むならば良いのですが、コンプライアンスの問題が絡むなど訴訟リスクがあると、手に負えないので、しっかり法務デューデリジェンスを行っておくべきです。

買収先B/Sに未計上の無形資産等の価値をどう見積もるかが、IPOに影響することも

―「のれん」以外で気をつけた方が良いポイントは何かありますか。

例えば、顧客との契約、商標ブランド、特許権等の法的権利など買収先のB/Sに計上されていない無形資産等に価値があるかどうかも、十分に検討してPPA(Purchase Price Allocation)を行う必要があります。

PPAとは、取得した対価を買収会社の資産・負債に配分する手続きのことですが、PPAの結果、識別された無形資産の償却年数により、今後の損益の計上額が変わることもあるので注意が必要です。当該PPAで配分されなかった残額が「のれん」であり、のれんを含む無形資産が多額になる場合は今後の費用負担を増大させるので、M&Aの実行前に、会社として何を目的に買収したのか、その金額や償却年数を十分整理しておく必要があります。

IPOを目指すスタートアップは、識別された無形資産等を反映した事業計画をベースに企業経営していくことになりますが、無形資産の種類によって価値の存続期間が異なり、会計上の償却期間も違ってくることもあるので、その辺も十分検討しなければなりません。その検討が甘く損益の出方の変化を把握できていないケースは非常に多いですね。

スタートアップは新規ビジネスが多いので、償却年数がそれほど長くなるケースは多くありませんが、「のれん」算定に使用した事業計画と実績値の乖離率など、どういう兆候があったら「のれん」の減損を検討するのかという「減損テスト」の社内ルールを事前に決めておくこともIPO上とても大切です。また、会計上の損切だけでなく、どのような事態になったら買収事業から撤退するかの基準を「事前」に決めておくことも無駄な損失を回避するためにとても重要ですね。

―「のれん」や無形資産の問題がIPOに影響を及ぼすリスクはありますか。

IPO軸でいうと、主幹事証券会社・東京証券取引所の審査では、直前々期以降に行われた合併、株式交換などの買収で、申請会社の財政状態及び経営成績に「重要な影響」を与える場合、期間比較性の観点も考慮して慎重な審査が行われます。特に、多額の「のれん」が計上されている場合、事業計画の妥当性に加えて減損テストの状況について確認が行われるので、より一層の注意が必要です。上場の際の開示書類において「事業等のリスク」などの適切な開示を求められる可能性もあります。

一方、M&Aの「のれん」等の減損というリスク面の開示だけでなく、今後の開示においては、M&Aをどう活用して企業価値を上げるのかという戦略やM&A後のパフォーマンスを測るKPIも含めた非財務情報をIRとして積極的に開示するべき時代に入ってきているので、そういったことも見据えて積極的な開示の準備を行っていただきたいです。

M&Aで世界で近年注目されているキーワードとは

―その他に、M&Aを活用した成長戦略についてアドバイスはありますか。

最近増えているアーンアウト条項(※2)を活用したM&Aは留意したほうがいいですね。アーンアウト(条件付対価)とは、初期に投資する資金を低く抑える目的等で、一定の業績等を達成したら追加で対価を払う手法です。アーンアウトの会計処理は、企業結合日の時点で、確定している対価の額でまずは会計処理を行い、その後、対価を追加的に支払うことが判明した時点で追加的な会計処理を行います。

すなわち、追加で支払う金額を企業結合日時点で認識されたと仮定したうえで償却計算し、追加対価の前期以前の償却費分も含めて目標達成した会計年度に費用計上するので、予算コントロールがやりづらい面があります。アーンアウトは「初期支払いが安いから買いやすい」と思いがちですが、上述の側面も考慮のうえ当該条項を慎重に活用する必要があります。

最後に、スタートアップ自身が行うM&Aではありませんが、M&A関連のホットトレンドとしてSPAC(特別買収目的会社)(※3)について触れておきます。米国で件数が急増し、アジアでも解禁に関する議論が進んでいるようなので、東証は現行制度上形式基準を満たさないので認めていませんが導入の検討を慎重に行っている段階であると考えますので、目配りはしておく必要はありますね。

IPOを目指すスタートアップへの1番のメッセージは、成長戦略の重要な1つのツールであるM&Aを上手く賢く活用し、今回申し上げた留意点を踏まえ、成功の確率を高めていただきたいということです。

<用語解説>

※1)株式交付:株式会社が他の株式会社をその子会社とするために当該他の株式会社の株式を譲り受け、その対価として譲渡人に当該株式会社の株式を交付することをいい、株式交換とは異なり、他の株式会社を完全子会社とするケース以外にも適用することができる

※2)アーンアウト条項:M&A取引において、買収代金の額をクロージング後の買収先企業の業績等に連動させる条項

※3)SPAC:Special Purpose Acquisition Company(特別買収目的会社)。特定の事業を持たず、未公開会社や事業の買収を目的とした空箱企業のこと

企画:ストライク 企業情報部