一神教と疫病とコーポレートファイナンスⅨ│間違いだらけのコーポレートガバナンス(29)

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宮廷ユダヤ人がコロンブスの航海に巨額の「ポケットマネー」を拠出した理由とは(写真はイメージ)

前回のコラムでは、コロンブスの処女航海における資金調達額が200万マラベディ(推計価値約10億円)だったことを紹介した。そしてコロンブスは3人の投資家から、筆者が「メザニン投資(*1)」と推察する25万マラベティを引き出した。

「ポケットマネー」をはたいた宮廷ユダヤ人のサンタンゲル

そして残りは、大物宮廷ユダヤ人のルイス・デ・サンタンゲルが工面した。彼は市民警察組織のプール資金である「特別会計埋蔵金」から140万マラベディをひねり出し、残る35万マラベディは自分のポケットマネーから出したと伝わる。

このサンタンゲルの資金はのちに十字軍の寄付基金から自身が回収しており、個人的な負担は実質的にゼロだったという説もある。しかし、その経緯や真偽は明らかではないため、本コラムではサンタンゲルが一定額のポケットマネーを拠出したという立場を取る。

大西洋に金塊をばらまくようなこのプロジェクトに、なぜサンタンゲルはそこまでコミットしたのか。それが筆者の最大の関心事のひとつだ。それには、やはり彼の改宗ユダヤ人としての複雑な立場が決定的に影響していると考えられる。

*1「メザニン」は英語で中二階の意味。 転じてリスクの度合いがハイリスク・ハイリターンとローリスク・ローリターンの中間に位置するミドルリスク・ミドルリターンをねらう投資形態を指す。

 シン・キリスト教徒か、コンベルソか、隠れユダヤ教徒か

ここで、改めて言葉の定義をしておこう。宗教学や歴史学では、改宗ユダヤ人は一括りに「コンベルソ」と呼称されることが多い。これまでこのコラムでも、コンベルソまたは「新キリスト教徒」という表現をしてきた。ただ、これは厳密とは言えない。なぜなら改宗ユダヤ人の中にも、信仰の在り方やユダヤ教社会との関係性において、異なる立場の者が存在したと考えるからだ。

シン・キリスト教徒

一つは、完全なるキリスト教徒だ。「ナザレのイエス」がキリスト(救世主)であると心から信仰する「元ユダヤ人」である。ユダヤ教社会との関係性も断たれている。彼らはもはや律法(タナハ)に統治(ガバナンス)されるのではない。

軍事力を背景とした王の権力と、聖霊の力をもって神の代理を自認する教会。この2つに二重統治される者だ。これ以降は、このような「ユダヤ民族出自の完全なキリスト教徒」のことを新キリスト教徒と呼び、コンベルソとは別の存在として捉える。

新キリスト教徒は、しばしば激しくユダヤ教徒を迫害した。そうして自分が偽りのキリスト教徒ではなく、本当のキリスト教徒「真キリスト教徒」であることを証明したかったのだ。

転向は人を変える。戦後の日本でも、安保闘争で資本主義を否定した「全共闘の闘士」が、いったんスーツを着たら猛烈なビジネスマンになった。「進歩的知識人」を自認する知性派が、あるときから激しい右派の保守論客になったりもした。

自分はもはや理想に酔いしれる青臭い書生ではない。成熟した大人だ。対立者を激しく攻撃することで、自分の過去を消化し、「成長した自分」を確かめたいのだ。新キリスト教徒とは、そのような複雑な内面を持つ人々だ。

「揺れ動く人」コンベルソと「隠れユダヤ教徒」

では、コンベルソとはなにか。それは、「揺れ動く人」であるというのが筆者の理解だ。彼らは教会の洗礼を受けて福音に帰依しているが、ユダヤ教社会との関係性は緩やかに継続している。ユダヤ教徒の親戚とも交流があるような存在だ。筆者は宮廷ユダヤ人の多くがやはりこの「コンベルソ」であり、「新キリスト教徒」ではなかったと考えている。なぜか。

もし、宮廷ユダヤ人が新キリスト教徒だったら、キリスト教という一神教の中に本質的に内在する、他者をコンバート(転向させる)せずにはいられない性質を、官僚(宮廷ユダヤ人)が持つ可能性があるからだ。これは雇い主である王にとって非常に危険だ。その野心の矛先が、いつ自身の地位や権力に向けられるか分からないからだ。

一方で、宮廷ユダヤ人がユダヤ教徒としてのアイデンティティを失っていないのであれば、彼らにとっての国家とはスペインではない。ユダヤ教は神と交わした契約(律法)を守ることで、契約の対価として民族の繁栄と国土・国家(=イスラエル)を与えられると信じる契約宗教だ。

従って、彼らにとっての国家とは究極的にはイスラエルをおいて他にはあり得ない。カトリック両王に仕えていても、スペインは本質的には彼らにとっての国家ではない。だからこそ国庫を任せても、行政を管理させても、王はまだ安心できたのだ。国王の所有物であるユダヤ教徒共同体も、その人脈を通じて管理させることができる。これが筆者が宮廷ユダヤ人の多くがコンベルソだっただろうと考える根拠だ。

そして「隠れユダヤ教徒」。彼らは形式上洗礼を受けているが、いまだはっきりとユダヤ教を信仰している人たちだ。安息日を守り、コーシャ(食事戒律)を守り、シナゴーグで祈る。もちろん、異端審問に摘発されないようすべては密かに、だ。彼らはマラーノと呼ばれた。

しかし、これは明らかに侮蔑的な表現であるため、ここでは「隠れユダヤ教徒」と呼ぶ。常に異端審問の恐怖に晒され、それでも信仰を捨てなかった人々だ。1492年の追放令で、その多くは国外に離散し、新世界の歴史に深く関与していくことになる。

サンタンゲルはコンベルソとして、ユダヤ民族の存続を願った

言葉の整理をしたところで本題に戻ろう。サンタンゲルは、なぜ個人の財産を投じてまでコロンブスを支援したのか。「新キリスト教徒」として、スペイン国家の成功と発展に全霊を込めて取り組んだのだろうか。そして福音を世界の隅々まで伝播させることで、邪教に耽り地獄に落ちる憐れな異教徒を救済する計画に全人格を捧げたのだろうか。

そうではないだろう。サンタンゲルは新キリスト教徒ではなく、コンベルソだった。筆者はそう考えている。なぜならば、彼が新キリスト教徒と鋭く対立しながら、ユダヤ教徒を守ろうとした足跡が歴史にはっきり刻まれているからだ。

ユダヤ教徒の追放は7月31日を期限として公示された。コロンブスは8月3日に出港した。この年は運命の1年といわれるが、不可逆な変化が完了するのに要した期間はたったの8カ月だ。約240日で世界が変わった。そしてサンタンゲルはこの間、1人の新キリスト教徒と対峙し続ける。

立ちはだかるシン・キリスト教徒「トマス・デ・トルケマダ」

サンタンゲルの前に立ちはだかったのは、彼と同じく祖父の代にユダヤ教徒からキリスト教徒となった改宗3世のトマス・デ・トルケマダ大審問官その人である。初代異端審問所の長官として、隠れユダヤ教徒を次々に摘発した。

1498年に亡くなるまで、最低でも2000人前後、実際にはそれを遥かに上回るコンベルソや隠れユダヤ教徒を、拷問や火刑で屠ったとされる。その実行力と狂気が歴史に深く刻まれる新キリスト教徒の象徴的人物といっていいだろう。

このトルケマダとサンタンゲル、そしてコロンブス航海の諮問会委員長タラベーラ。1492年3月20日の王の諮問会議で、この3人の宮廷ユダヤ人が半島の運命を巡って鋭く対立した。この諮問委員会では、航海と追放という2つの運命的な出来事が同時に稟申されたのだ。

イザベルとフェルディナンド両王の前で、トルケマダとサンタンゲルが対立した。それは一族の過去を振り捨てて福音に帰依した新キリスト教徒と、自らの信仰(キリスト教)と自らの出自(ユダヤ民族)との間で葛藤を抱えて生きたコンベルソとの闘いだ。

パウロと重なるトルケマダ

筆者には、トルケマダが、ペトロと並んで原始キリスト教の大陸マーケティングに決定的に重要な役割を果たしたサウロと重なって見える。サウロは、もともと熱心なユダヤ教ファリサイ派のユダヤ人で、ユダヤ教イエス派を激しく弾圧した。

しかし、ダマスコの地へ向かう途上でイエスの声を聞き、回心したという。(新約聖書:使徒言行録9章3)そして、洗礼後パウロと名乗り、イエス派教徒の重要な指導者の一人として、異邦人を対象とした大陸伝道に深く関わる。そして原始キリスト教の確立と拡大において、決定的な役割を果たすのだ。

筆者はパウロこそ、最も重要なシン・キリスト教徒(「新キリスト教徒」であり「真キリスト教徒」)だったと思う。トルケマダはパウロの遺志を継ぎ、イエスの死後15世紀余りを経て、稀な実行力を伴って現れたシン・キリスト教徒だ。その彼が王の諮問委員会において、大いなる使命感を持って政敵・サンタンゲルの前に立ちはだかる。

(この項続く)

文:西澤 龍(イグナイトキャピタルパートナーズ 代表取締役)