一神教と疫病とコーポレートファイナンスⅨ│間違いだらけのコーポレートガバナンス(28)

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ユダヤ教からの改宗3世がコロンブスの大航海を実現させる(写真はユダヤ教の会堂・シナゴーグ)

コロンブスの第1回航海に必要とされた約200万マラベディ。感覚的にどのくらいの額だろうか。中世の貨幣価値を現在の価値に正確に換算することは困難だ。ここでは、諸資料に最も頻出する換算値から平均的な値を取って、日本円にしておおよそ10億円くらいという感覚で理解しておく。大きく間違ってはいないだろう。

資金調達に奔走したコロンブスとサンタンゲル

前回のコラムで述べたように、コロンブスはこの200万マラベディのうち、12.5%(25万マラベティ=約1.25億円)を、自己資金として出資する必要があった。そうしなければ、航海利益の12.5%のリターンを創業者利益として得ることができない規約(サンタフェ規約)だったからだ。

コロンブスの航海を説明した諸資料では、コロンブスはこの資金を調達するためにイタリア人船乗りとしてのネットワークをフル活用した。そして、以下3人のイタリアの篤志家から「融資」を受けたと伝わる。

・フィレンツェの銀行家ジュアノト・ベラルディ
・商人リバロリオ
・商人フランシスコ・ピネッロ

コロンブスの航海を深堀りしている過程で、筆者の関心事のひとつはこの時の契約内容と条件だった。なぜか。大西洋に金塊をばらまくようなこのプロジェクトに「融資」をする。これはファイナンスの理屈からして、普通あり得ないからだ。

ハイリスク投資の資金を、借り入れ(元本保証+金利)で賄ってはならない。これはファイナンスの基本中の基本だ。本来はエクイティ(株主資本)で調達するべきだ。しかし何度もいうように、この時まだ株式会社は発明されていない。

だから、この航海のファイナンスを説明している資料では、この資金の性質を「融資」として整理している。ジャック・アタリ氏も同様だ。しかし、3人の篤志家とコロンブスの間で取り決められた契約内容は、本質的には融資(=Debt)ではなかっただろうと考えられる。

コロンブスに「メザニン投資?」をしたイタリア商人

おそらく両者は、コロンブスが得る成功報酬(利益の12.5%)の一部を貸し手に支払うことで合意をしたのではないか。支払われたのは単なる「金利」ではなく、出資に対するリターンである。

もしそうだとすると、現代のファイアンスの感覚で言うならば、これは「メザニン」に近い。新株予約権や劣後債を用いた「融資(Debt)」と「投資(Equity)」の中間的な性質の投資である。

筆者は、コロンブスの自己資金は、イタリア商人との間でメザニン投資契約が成立して調達されたと思っている。(但し、元本保証だったかどうかは判らない)とにかくこうしてコロンブスは、なんとか自分のノルマ「25万マラベディ」をかき集めた。

一方、サンタンゲルは残りの175万マラベディ(感覚的には約8.75億円)をかき集めるために奔走する。ここで彼の宮廷ユダヤ人としての地位と実力がものをいう。以前のコラムで述べた通り、サンタンゲルは治安維持組織、サンタヘルマンダートの財務総監も務めていた。

この組織には市民から罰金として徴収された、国庫とは別会計の資金が豊富にあったらしい。現在の国家財政において、警察組織が徴収した駐車違反金が、国庫と別会計になり、外から見えなくなってしまうことはあり得ないだろう。

しかし、時は中世で王家の資金と国家の資金の区別さえ怪しい時代である。サンタヘルマンダードのような外郭組織にプールされた資金について正確に把握していたのは、サンタンゲルのような地位の者に限られていたであろうことは容易に想像がつく。

現代の日本でも「霞が関埋蔵金」などと呼ばれた、特別会計や財政投融資の積立金などがニュースを賑わせたことがあった。さしずめサンタンゲルは、スペイン王国財政の「埋蔵金」を発掘してコロンブスの航海資金を捻出したと想像される。アタリ氏は、その額をおよそ140万マラベディ(感覚的には約7億円)と推察している。

サンタンゲル、なぜそこまで頑張る?

コロンブスがかき集めた25万マラベディ。そして、サンタンゲルが市民警察組織の「特別会計埋蔵金」から捻出した140万マラベディ。それでもまだ35万マラベディ(約1.75億円)足りない。サンタンゲルはこれを自らの個人財産で補ったようだ。いわばエンジェル投資だ。順番としては、サンタンゲルが最初にコミットしたのだろう。

フェルディナンド王の寵愛を受け、王国の財政の重要ポストを担っていた大物財務官僚のサンタンゲル。それほどの人物が自らの財産でコミットしたからこそ、コロンブスの航海の信用力が上がったのだ。これが呼び水となって、コロンブス航海のシードファイナンスラウンドが成立した。筆者はそう考えている。

ここで一つの疑問が生じる。なぜサンタンゲルは、そこまでコロンブスにコミットしたのだろうか。カトリック両王、特にフェルナンドは乗り気ではない。イザベラも興味はあるが、自分の個人財産や王室の公式資金は一銭たりとも出すつもりはない。200万マラベディなど、彼女からすれば微々たる額だろうに。そして、投資委員会の責任者、宮廷ユダヤ人の同僚タラベーラは猛反対だ。

サンタンゲルが諦めれば、コロンブスの航海案はあっさりと葬り去られただろう。そして、諦めたところでサンタンゲルが減点評価されることも決してなかっただろう。むしろ失敗した時こそ、いい笑いものだ。出世にも響くに違いない。

スタートアップ投資なんて、失敗する理由はすぐさま100は列挙できる。残念ながら、大体のところ失敗する。投資を見送るなんて一瞬。簡単なことだ。仕事も減って、むしろ楽だ。21世紀の今日も、どこかの会社の会議室でいろんな案件が即座に却下されているだろう。歴史上、いつでも繰り広げられているありふれた光景だ。

しかし、サンタンゲルは諦めなかった。なぜか。

キリスト教に改宗した「宗教3世」サンタンゲルの苦悶

その答えは、結局のところサンタンゲル以外にはわからない。だから推察するしかない。これを考えるにあたり、やはり最も重要なのは、彼の宗教3世(新キリスト教徒3世)としての出自だ。

以前のコラムでも述べたように、サンタンゲルは祖父の代にユダヤ教からキリスト教に改宗した、新キリスト教徒3世だ。彼の祖父、アザリアル・キニーロはキリスト教徒から追放や処刑を突き付けられ、強制改宗させられたのだろうか。それともナザレのイエスがキリストであるというストーリーを受け入れて、自発的に改宗したのか。それはわからない。

だが、サンタンゲルはこの世に生まれ落ちた時点で、「改宗者(新キリスト教徒)の子孫」という運命を背負わされることになる。改宗者の子孫(いわば宗教2世や3世)は、親の選択(改宗)のせいで、キリスト教徒からは「本物のキリスト教徒」ではないと疑いの目を掛けられる。

そしてユダヤ教徒からも、「律法(神との契約)を捨てて改宗した転向者」として仲間とは見做されない。自らの選択ではなく、親や祖先の選択により、二つの宗教の間で揺れ動くことを運命付けられた新キリスト教徒。その葛藤は、サンタンゲルをも苦しめたに違いない。

(この項続く)

文:西澤 龍(イグナイトキャピタルパートナーズ 代表取締役)