一神教と疫病とコーポレートファイナンスⅨ│間違いだらけのコーポレートガバナンス(26)

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香辛料を求めて航海プランを練ったコロンブスの真のスポンサーは…(写真はイメージ)

前回のコラムでは、コロンブスが初航海の途上でカトリック両王に送ったとされる書簡について触れた。そして、彼の航海には真のスポンサー「ルイス・デ・サンタンゲル」なる宮廷ユダヤ人がいたことに触れた。今回はまず彼の出自とその業務を確認しよう。

コロンブスの初航海における真のスポンサー

コロンブスの航海については様々な文献が存在する。しかし、その内容はどれも微妙に異なり一致を見ない。結局のところ、この航海の全体像について統一された歴史的事実認定があるとは言えない。本稿では特に断りのない限り、ジャック・アタリ氏の2つの著作「1492~西洋文明の世界支配(1994年初版)」および「ユダヤ人、世界と貨幣(2015年初版)」の2著を参照している。

アタリ氏は言わずと知れた知の巨人だ。ユダヤ系フランス人でもある。そして欧州復興開発銀行の初代総裁を務めた金融の専門家でもある。ここではコロンブスの航海をファイナンス面から考察する情報源として、アタリ氏の著作を基本とすることが現時点では適切と考えている。一方でアタリ氏の著作発表以降に判明した新事実などは反映されていない点をあらかじめご承知願いたい。

サンタンゲルは、祖父の代にユダヤ教徒からキリスト教徒に改宗した新キリスト教徒だ。祖父の名はアザリアス・キニーロ。15世紀の初めに改宗し、マジョルカの司祭になった。サンタンゲルはその孫だ。

サンタンゲルはアラゴン王フェルディナンドの寵愛を受ける。そして1481年にアラゴン家の徴税総監となる。ほどなくしてカスティージャの支払い総監にも任命された。徴税総監はいわば国税庁長官、支払い総監はいわば主計局長といったところか。王家の資金調達と運用の両面を担う超エリートの地位である。

西回り航路を最初に提唱したのはコロンブスではない

その後、彼はさらに重要なポストを担う。サンタヘルマンダートといわれる組織の統括である。これはいわば治安維持組織だ。警察力を持っていた。サンタンゲルはこのサンタヘルマンダートの財務総監にも任命されている。彼のこの地位と役割が、のちにコロンブスのファンドレイズ(資金調達)を実現させる大きな原動力となる。

サンタンゲルが果たした役割とその資金調達スキーム。これについて具体的に掘り下げる前に、コロンブスの航海案がスペイン王国の諮問会議に稟申されるまでの背景と流れを少し整理しておこう。

    15世紀中盤の時点で、西洋の知識人の間では「地球が丸い」ことはおおよそ共通認識になっていた。この認識に基づいて、大西洋を西回りに進めばインドに到達できると提唱したのはフィレンツェの天文学者トスカネリとされる。

    1474年にトスカネリとコロンブスは、手紙を通じて西回り航路の可能性を議論したと伝わる(真偽は諸説あり)。1492年6月、コロンブスの航海の直前にはマルティンべーハイムが世界最初の地球儀を完成させた。

    コロンブスは「西回り理論」を開発した研究者ではなく、実践した起業家だ。現代風に言えば、大学の研究開発成果をビジネスにつなげる、「大学発スタートアップ」の起業家といったイメージに近いだろうか。

    スペイン王国経済を圧迫した香辛料の中間流通マージン

    次に、コロンブスの航海が目指した課題解決(ペインポイント)について触れる。このコラムでは何度も書いているが、ペストをはじめとする疫病が蔓延する中世ヨーロッパにおいて、香辛料は単なる調味料ではなかった。

    医薬品に準じる位置づけと価値を持っていた。だからこそインドから陸路を通じて供給される香辛料には、特にイスラム圏を通じて膨大なマージンが上乗せされ、欧州消費地での末端価格は暴騰し続けていた。それでも売れたのだ。

    この陸路の終着点のひとつがイベリア半島であり、そこでの末端価格がどれほど法外なものだったかは想像に難くない。こうした中間流通マージンを排除したい。そのために西回りの海上ルートで直接インドに出向き、香辛料を買い付ける。

    イベリア半島の地政学的な観点で見ると、これはどれだけリスクが高くても一考に値するプロジェクトだったといえる。中抜きビジネスはいつの時代でもイノベーター(改革者)によるディスラプト(破壊)の挑戦を受けるのだ。

    ところがポルトガルでは、コロンブスのライバルともいえる航海者のパルトロメウ・ディアスがアフリカ大陸の南端を超えてインドに到達するルートの開拓に道筋をつける。この成果に基づき、ポルトガルのエンリケ航海王子は、アフリカ南端を喜望峰と命名し、インド航路開拓の可能性をこのルートに賭けた。

    コロンブスはポルトガルにも自身の西回り航路プロジェクトを売り込む。しかし、喜望峰ルートの方が現実的だと考えた彼らがコロンブスのプロジェクトに投資することはなかった。その結果「逃した魚」は大きい。

    余談になるが、筆者はグローバルに活躍する著名な投資家に「どんな時が一番悔しいか?」と聞いたことがある。意外なことに投資した案件の失敗よりも、「投資を断った案件がユニコーンになることが一番悔しい」という。自分の見る目の無さを突きつけられるからだそうだ。

    (この項続く)

    文:西澤 龍(イグナイトキャピタルパートナーズ 代表取締役)