一神教と疫病とコーポレートファイナンスⅨ│間違いだらけのコーポレートガバナンス(20)

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ユダヤ人は税債権の証券化スキームを編み出した(写真はイメージ)

前回までの連載では、ディアスポラ(民族離散)以降、イベリア半島に定住した離散ユダヤ教徒たちが、時の権力(イスラム勢力、キリスト勢力)に翻弄されながらも、ユダヤ教徒としてのアイデンティティを維持し、イベリア半島におけるユダヤ人共同体を構築していく過程に触れた。

国家財政理論の最初の萌芽はイベリア半島で生まれた?

特にその中でも、歴史に重要な足跡を残しているのが「宮廷ユダヤ人」の存在であることも述べた。イベリア半島をイスラム勢力が席巻した10世紀前後には、持ち前の専門性(医療(薬学)技術や造船技術、天体観測技術と地図作成技術、そして金融技術)で、イスラムによる平和の黄金時代の到来に貢献した。

そして、レコンキスタ(イスラム教徒に奪われたイベリア半島の最征服)が進展し、キリスト教系王国がイベリア半島において勢力を回復したのちは、王室の隷属民として「徴税業務」を担わされ、現代の特別目的会社(SPC)のようなビークルを活用した「徴税債権の証券化」スキームを開発。レコンキスタを進展させるための膨大な戦費調達を負担したというのが筆者の分析だ。

以下は、あくまで筆者の仮説・推察にすぎないが、この徴税債権の証券化スキームは後世において国家が国債を発行して資金を調達していく流れの原点になったように思われる。このことについて、もう少し考えてみたい。

例えばキリスト教系王族が来年度の徴税権をユダヤ教徒が組成したSPCに売却し、税収を前倒しで獲得。戦争に投資してレコンキスタをある程度進展させたとする。しかし、戦費はやがてまた底を尽いて足りなくなる。そうなった時、キリスト教系王族はどうしただろうか。

可能性として考えられるのは、「再来年」「さらにその翌年」と、未来の徴税債権をユダヤ教徒に売却して、ユダヤ教徒の財産を巧みに収奪し続けるスキームだ。「将来の税収」を割り引いて、今すぐ必要な資金を調達する。これは国債を発行して資金を調達する近代財政スキームと根底で通じるものがある。

もちろん国債は償還(返済)されなくてはならないのに対し、徴税債権の証券化の場合は、ユダヤ教徒への返済義務はない。債権は「売却(イグジット)」されたのだから、回収できるかどうかはユダヤ教徒の「自己責任」であり、この点において両者は異なる。しかし、将来のキャッシュフロー(将来税収)を割り引いて今必要な現金を得るという意味では共通だ。

10~13世紀のレコンキスタ運動下のイベリア半島で繰り返された戦争。その中で、時の勢力に財産を搾取されながらも、ユダヤ教徒に共通するフツパー(不当不屈)の精神を発揮し、リスクを分散して、債権の回収(徴税)にあたったユダヤ教徒共同体のリーダたち。彼らが開発した金融ノウハウは、やがて時の王族たちにとって必要不可欠になっていったに違いない。

ギリギリの共存における知恵と「バルセロナ討論」

このように、11~13世紀のイベリア半島において、ユダヤ教徒、とりわけ宮廷ユダヤ人の知恵と財産は、キリスト教勢力がイスラム掃討運動を有利に進める中で必要不可欠なものだった。そして両者は常に緊張と対立、そしてキリスト教徒による一方的な迫害が散発し続けながらも「ギリギリの共存」を図っていったと筆者は考えている。

しかし、ユダヤ教徒の教義とキリスト教徒の教義には、根本的に相容れないことは言うまでもない。なにしろ、キリスト教のいわば一丁目一番地である「ナザレのイエスはキリスト(救世主)である」との教義を、ユダヤ教徒は受け入れられないのだ。

両者の間に横たわるこの絶対的な断絶について、この時代のキリスト教社会はどうやって折り合いをつけていたのか。これについて示唆のある一つの有名なエピソードがある。ご存知の方も多いと思うが改めてここで触れてみたい。宗教論争「バルセロナ討論」だ。(出典:「スペインのユダヤ人」関哲行他著)

1263年、アラゴン王ハイメ1世(1213年~1276年)はユダヤ人ラビ(宗教的指導者)「ナフマニデス」と、コンベルソ(ユダヤ教からキリスト教への改宗者)のドミニコ会士「パブロ・クリスティアーニ」の間で「バルセロナ討論」と呼ばれる宗教討論を開催した。主たる論点は以下の二つだ。

「ナザレのイエスはメシア(救世主)か」
「メシア(救世主)はすでに到来しているのか」

いずれもキリスト教の根幹をなす大前提である。旧約聖書に到来が示された救世主はイエスの顕現に結実し、神との契約は更新されたとするのがキリスト教の出発点だ。

バルセロナ討論において、ナフマニデスはこのいずれも否定する。

「メシア(救世主)がすでに到来しているのであれば、世界がいまだに不正と暴力に満ち溢れているはずがない」

あまりに舌鋒鋭くパブロを論破するナフマニデスの姿勢に、むしろユダヤ教徒の方が共同体への迫害を恐れ、ナフマニデスに自重するよう求めたと伝わる。現代に生きる筆者でもナフマニデスの主張にこうして触れるのを思わずためらいたくなるほど、彼のキリスト教に対する主張は容赦ない。

なぜキリスト教徒がユダヤ教徒に「妥協」したか

このような議論が11世紀のイベリア半島において、キリスト教社会の主催で開催されたこと自体大きな驚きといえる。もちろん主催者はこの討論によりユダヤ教徒がイエスによる救済に目覚めて、「自発的」にキリスト教に改宗することを期待したはずだ。

しかし、バルセロナ討論は望むような形で終わらなかった。だからといってこの論争をきっかけに後世で起きるような悲惨なユダヤ教徒への大迫害は起きなかった。両者の間には「ギリギリの共存」が辛うじて継続した。なぜか。

当時アラゴン王国は、マジョルカ、バレンシアなどのイスラム勢力地域を「再征服」することを目指しており、この活動にユダヤ教徒との知恵と能力は欠かせなかった。そこで重要だったのは、キリスト教におけるユダヤ教の統治(ガバナンス)方針である。13世紀後半にカスティーリャ王アルフォンソ十世が編纂させた「七部法典」には次のように規定されているという。

「ユダヤ教徒をキリスト教徒に改宗させるにあたり、いかなる暴力も強制も公使されてはならない。キリスト教徒は、聖書の字句と思いやりの言動により彼ら(ユダヤ人)をイエス・キリストの信仰に導くべきである。」(出典:同上)

一方で、七部法典にはユダヤ人とキリスト教徒の共同飲食禁止、共同入浴の禁止などの隔離政策も示されている。12世紀のイベリア半島のキリスト教徒が、レコンキスタという目的のためにユダヤ教徒との「ギリギリの共存」を目指し、葛藤した足跡がここにある。

余談になるが、この七部法典で見られたユダヤ教徒の「自発的改宗」に対するキリスト教徒の期待。ユダヤ教徒という存在の彼らなりの「消化」の仕方は、現代のキリスト教社会においても通じるものがあるように思われる。

「ギリギリの共存と平和」は続かず、迫害の時代が…

例えば米国におけるキリスト教福音派の代表的な考え方の一つを挙げてみよう。彼らは新約聖書に書かれているように、将来イエスがイスラエルに「再臨」し、「最後の審判」が下されると考えている。この再臨が訪れたとき、ユダヤ教徒はナザレのイエスがやはり本物のキリスト(救世主)であったことを受け入れ「自発的にキリスト教徒に改宗する」と考えている。

そして、イエスがイスラエルに「再臨」するための条件として、イスラエルの地がユダヤ教徒の元に回復されていることが必要と考える。これがキリスト教福音派が親イスラエルとなる一つの重要な根拠であり、歴代の米国中東政策が親イスラエルである理由であることはいまさら言うまでもない。トランプ前大統領は、これを最も積極的にシャープな形で実現した大統領だ。

イベリア半島で維持された、ユダヤ教徒とキリスト教社会の「ギリギリの共存」。しかし、レコンキスタが進み、イベリア半島におけるイスラム勢力の退潮が鮮明になるにつれて、次第にキリスト教社会のユダヤ教徒の扱いは変容していく。

キリスト教王国はユダヤ教徒の利用価値より、キリスト教社会へのマイナス影響の方が大きいと感じていくようになる。ここに、十字軍遠征という別の大きな流れも影響し、イベリア半島のユダヤ教徒は断続的・発作的に起きる迫害の脅威にさらされていくようになる。

ユダヤ教徒は隔離地域(ゲットー)での生活を余儀なくされ、キリスト教徒の子供が行方不明になると、ユダヤ教徒が祭事の生贄として殺したというフェイクニュースが流れた。こうしたデマにより多くのユダヤ教徒が虐殺された。しかし、その後「ギリギリの共存関係」を破壊し尽くす、さらなる最悪の悲劇が起きることになる。

ペストがモンゴル帝国からカッファの包囲作戦を通じて欧州に持ち込まれたのは、1347年頃と伝わる。そして、1351年までのわずか3年ほどで、実に欧州人口の3分の1を葬り去った。(死者数は諸説あり)。欧州中心部(イタリア、フランス、ドイツなど)で猛威を振るったペストは、やがてイベリア半島に到達し、「経済」「社会」「人心」、そしてキリスト教徒とユダヤ教徒の「ギリギリの共存関係」…その全てを破壊し尽くしていく。

(この項続く)

文:西澤 龍(イグナイトキャピタルパートナーズ 代表取締役)