一神教と疫病とコーポレートファイナンスⅥ|間違いだらけのコーポレートガバナンス(17)

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前回のコラムでは、欧州に離散したユダヤ教徒が金融業に進出していった経緯について筆者の見方を述べた。離散ユダヤ教徒は、金融家である前に起業家であり、なによりも前にまず「プロフェッショナル(専門家)」だった。それがこのコラムの立場だ。

わざわざ彼らのディアスポラの歴史から紐(ひも)解いてこの見方を述べたのは、金融とユダヤ教徒について最も一般的とされる説明に、筆者はかなり懐疑的だからである。今回はこの定説に切り込んでみたい。

キリスト教の金利禁止でユダヤ金融が栄えた?

恐らく最も一般的に理解されているユダヤ教徒と金融の関係についての通説は、以下のようなものだろう。

「キリスト教は金利を禁じていたから、キリスト教徒は貸金業をしなかった」
「ユダヤ教では異教徒からは金利を取ってもよいという教えだったから、ユダヤ教徒が金融業を独占してキリスト教徒から金利を搾取した」

これは果たして本当だろうか。筆者自身は、これに対してかなり懐疑的だ。そう考える理由をいくつか整理したい。

理由1:貸金業や金利を禁じたのは「聖書」ではない

まず大前提として、聖書には何が書かれているのか。すでによく知られた話かも知れないが、改めて確認してみたい。まず、旧約聖書が金利について最も明確に記しているのは、「申命記23.20-21」である。以下、聖書協会共同訳から引用する(以下同)。

レビ記25.37:「天引きして銀を貸したり、利益を得るために食べ物を貸してはならない」
申命記23.20:「利息を取って同胞に貸してはならない。銀の利息も食物の利息も、いかなる利息も取ってはならない」

申命記23.21:「外国人には利息を取って貸してもよいが、同胞からは利息を取ってはならない。あなたが入って所有する地で、あなたの神、主があなたのすべての手の業を祝福するためである」

これがユダヤ教徒とキリスト教徒の共通の聖典である「聖書」(キリスト教の旧約聖書、ユダヤ教のタナハ)」の記述だ。ここで外国人とは異邦人、異教徒と解される。異教徒には金利を取ってお金を貸してもよいが同胞はだめというこの教えは、ユダヤ教徒だけでなくキリスト教徒にも当てはまるといえる。旧約聖書はユダヤ教だけではなく、キリスト教の聖典でもあるからだ。

仮にキリスト教が独自に金利を禁止しているとしよう。であるならば、神との契約を更新したとされるイエスの教えを記した「新約聖書」において、それが独自に規定されているはずだ。しかし、新約聖書にそのような記載はない。むしろ全く逆だというのが筆者の理解だ。

新約聖書のマタイによる福音書25章に「タラントンの教え」という話がある。この話では、主人が、僕(しもべ)達に対して、1タラント、2タラント、5タラントを預けて旅に出る。タラントは通貨の単位だ。2タラントと5タラントを預けられた者は、商売でそれを増やして主人に返した。

一方で1タラントを預かった者はそれを地中に埋めて隠し(要するにタンス預金して)そのまま返した。預けたお金で商売をして増やした者達を主人は称賛し、褒賞で報いる。これに対して、1タラントをタンス預金してそのまま返した者に対する主人の言葉は次の通りだ。

「それなら、私のお金を銀行に預けておくべきだった。そうしておけば、帰ってきたとき利息付きで返してもらえたのに」‘マタイによる福音書第25章27(これとほぼ同じ内容は、ルカによる福音書19章11-27「ムナのたとえ」にもある)

キリスト教徒の金融事業禁止は「教会の政治的判断」にすぎない

筆者は聖書の専門家ではないが、これを素直に読む限り、新約聖書(イエスの教え)が金利を否定しているとは受け取れない。もし金利を否定するなら、タンス預金した者の行為を褒めこそしなくとも、否定はしなったはずだ。金利をもらって堕落するくらいなら、タンス預金でよいのだと。

いうまでもなく、このタラントのたとえは、のちのプロテスタントの「天職概念」にも関係している。主人を失望させたこのタンス預金した者が結局どうなったか。これも非常に示唆深い内容だが話が脱線するので触れない。興味のある方は、ぜひ聖書を紐解かれたい。

もちろん「新約聖書は明確に金利を禁じている」という立場があるのは筆者も承知だ。例えばルカによる福音書で最も引用されるであろう個所の一つ、第6章27-36:「敵を愛しなさい」には次のような言葉がある。

「返してもらうことをあてにして貸したところで、どんな恵みがあろうか」ルカ6章34
「しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、何もあてにしないで貸しなさい」ルカ6章35

しかし、これをもって新約聖書が金利を禁じたという考えは、前後の文脈からしてもかなり無理があるのではないかというのが筆者の率直な感想だ。平たく言えば、利子どころか元本が返ってくることも期待してはいけないといっている。元本も返ってこない前提で与える。これは金銭貸借の話というよりは、投資の概念に近い。

このような解釈から、筆者はこのルカ6章をもってイエスの教えが金利を禁じているという立場は取らない。ただし、これはまさに神学論争そのもので、答えのある話ではないという点はご留意いただきたい。

こうしたことから「貸付と金利を禁じた」のは中世カトリック教会の政治的判断であり、それに合致するように聖書の解釈をしたというのが筆者の立場だ。印刷技術もなく、識字率も極めて低い時代に、聖書はほんの一部の聖職者しか読むことができなかった。

一般のキリスト教徒は、教会の判断に疑問の持ちようがなかった。中世欧州のカトリック教会は高度に政治的な判断で、キリスト教徒の貸金業を禁じた。共同体の中でキリスト教徒同士の借金のもめごとが絶えないのは非常に大きな社会リスクだったからだろう。

印刷技術が発達して聖書が普及し、識字率も上がっていった13世紀以降、このタラントの教えをはじめ新約聖書の教えと教会の解釈への疑問が人々の間で拡大する。そして宗教改革において、教会が神と信者の間に介在することを批判した神学者やプロテスタントは「聖書を独自に再解釈して」貸付と金利を肯定していく。やがてそれは商業の発展ともに宗派を超えて広がったのだ。

理由2:ユダヤ教徒だけで資金需要を賄えたとは到底思えない

別の観点からも理由を述べよう。中世欧州におけるユダヤ教徒は「圧倒的マイノリティ」である。その中でも、金融業に進出できるほどの余剰資金を持った成功者はさらに限られたはずだ。

多くのユダヤ教徒は共同体の相互扶助の仕組みの中で、手に付けた職を生かして辛うじて日々を送っていたはずである。圧倒的マイノリティのユダヤ教徒の、またその中のほんの一部の成功者の余剰運転資金の運用だけで、キリスト教社会全体の資金需要をすべて賄えたとは到底思えない。

確かに、カトリック教会が権勢を誇った中世欧州は封建社会だ。商業を中心とする社会ではない。しかし、人の営みがある以上経済は動き、そこでは必ず一定規模の金融システムが必要だったと考えるほうが自然だ。ユダヤ教徒だけでは賄えない資金需要は、キリスト教徒による貸金業がこれを補ったと考えられる。

特にキリスト教徒による「例外特権的融資」。これは単なる筆者の仮説ではない。学術的な研究もなされている。スイスの歴史家でチューリッヒ大学の教授だったハンス・イェルク・ギロメン氏の学説では、カトリック教会が貸金業を規制したのは必ずしもキリスト教徒だけではないという。ユダヤ教徒に対しても、時代によって貸金業は規制されていた。

ただ「特権的な許認可」を得た者だけが貸金業を許されたとされている。そして、この特権的な許認可を受けたのは、ユダヤ教徒の富裕層だけではない。キリスト教徒の富裕層も含まれるという。
*参考:ユダヤ人高利貸像再考(ハンス・ギロメン1990)に対する論文評 佐々木博光 京都大学学術情報リポジトリ

また、こうした例外特権的に許認可を得たキリスト教徒による金融業以外にも、無許可営業によるものもある程度あったはずだ。お金の貸し借りの詳細を正確に補足することはとても難しいからだ。

テクノロジーと社会制度が高度に発展した現代でさえ、非公開企業の有利子負債の中身を正確に知るのは容易ではない。中世においては、当事者、特に債務者からの自白がない限り、まず不可能だろう。金融の道理から考えても「ユダヤ教徒だけが金融業を営んでいた」という説には無理がある。

理由3:ユダヤ教徒が金融業に特化するのはリスク分散で不合理

別の視点からもさらに理由を重ねよう。これまでにも触れたように、中世欧州のユダヤ教徒は常にキリスト教徒からの迫害に直面する危険な立場だった。

「ナザレのイエス」は「キリスト(メシア=救世主)」であるという宗教が、ローマの国教となってしまったのだ。「メシアはまだ現れていない。(イエスはメシアではない)」と考えるユダヤ教徒コミュニティに走った激震の大きさは容易に想像できる。

このような環境下で、常にキリスト教からの迫害の脅威にさらされていたユダヤ教徒の貿易商人が、「儲かるから」という理由だけで金融業に進んで特化していったという説は受け入れがたい。なぜなら、このような緊張関係にあって、ユダヤ教徒のキリスト教徒に対する貸付は常に「踏み倒される」リスクがあるからだ。そしてそれは実際に何度も起きた。

ユダヤ教徒の商人がビジネスマンとして賢明であれば、主業として貿易事業などを営み、あくまで余剰運転資金の運用として金融業を営んだはずだ。そして事業のポートフォリオを管理し、リスクを分散していたはずだ。

少なくとも紀元1000年頃までは、ユダヤ教徒が金融業を専業としていたというのは史実にも反する。彼らが金融業以外の事業を全面禁止されるという究極の迫害を受けるのは、もう少し後のことだ。これについても今後の稿でふれる。

中世欧州がユダヤ教徒にとってどれだけ危険な場所だったか

余談になるが、この「ユダヤ教徒のリスク管理」についてもう少し触れたい。筆者もそうだが基本的に一神教と無縁の日本人にとって、この圧倒的マジョリティのキリスト教徒の中で暮らす少数派のユダヤ教徒の環境というものがどれだけハイリスクだったか、なかなか想像しがたい。そこで、この背景をもう少し深堀りしておこう。

キリスト教がローマの国教になったのは392年だ。そして、ユダヤ教にとって聖書とならぶ聖典である「バビロニアタルムード」が中世欧州のユダヤ教社会の中で最終的に固まったのは約100年後の490年ごろとされる。ユダヤ教徒のラビ達が、口伝律法として伝わってきたものを吟味し、現実社会への応用を目指して数百年にわたって議論を重ねてまとめられたのがタルムードである。

欧州のユダヤ教徒は、キリスト教の脅威が高まり続けた100年間で聖書(タナハ)と移動民族(ディアスポラの民)としての歴史をさらに深く紐解き解釈して、アイデンティティーを昇華させていった。

そして、ジャック・アタリ氏の著書「ユダヤ人~世界と貨幣~」によれば、タルムードの著者となったラビたちは、ユダヤ教徒社会における権威であり、しばしば経済の専門家であった。その知識は稀なほどの理論的専門性を持ち、近代経済理論にさえ通じる要素を持ち合わせていたという。超過利潤、価格決定メカニズムなど、今日のミクロ経済学に通じるような概念がすでに議論されているという。

筆者はキリスト教がローマの国教にならなければ、バビロニアタルムードは生まれていなかったかもしれないと思う。バビロニアタルムードがなければ、近代資本主義の萌芽となる金融的な知見が後世に体系的な形で伝えられることもなかったかもしれない。

欧州に渡ったディアスポラの民と、布教のために欧州に渡ったキリスト教徒。このコラムで何度も触れているこの両者の運命的な邂逅(かいこう)がなければ、経済社会は今日の姿ではなかったのではないかとさえ感じる。

例えば欧州以外の地、アフリカやアジアに散ったディアスポラの民は、多くの地域で時間をかけて受け入れられ、溶け込んで同化し、そして徐々にユダヤ人としてのアイデンティティーを薄めていった。欧州のユダヤ教徒はキリスト教の脅威にさらされ続けたが故に、自らのアイデンティティーを確固たるものとして確立する必要性に迫られた。

本題に戻り結論を述べよう。筆者は本稿で述べたような観点から、「清貧なキリスト教徒は貸付と金利を否定して金融業は営まなかったが、強欲なユダヤ人が金融業でキリスト教徒を搾取した」というような通説・俗説は、欧州の歴史に意図的に刻まれた重大なフェイク(偽り)のひとつだと考えている。

ユダヤ教徒を「受け入れて利用」し、「追放」したスペイン王国

筆者の知り得る限り、事実はむしろ全く逆だ。中世欧州のキリスト教社会はユダヤ教徒の知恵や専門性、そしてその資産(金融資産もそれ以外も)を巧みに利用して搾取し、そして追放した。中世欧州で繰り返されたこの不幸なサイクルが、その歴史において最も劇的に、そして鮮明に刻まれている国がスペインだ。

そして、その不幸のサイクルの加速器として、紀元以降最悪の疫病のひとつ「ペスト」の存在がある。次回からスペインの栄光と挫折に翻弄された、スペインのユダヤ教徒の劇的な歴史について書いてみたい。

中世スペインでユダヤ人は「利用」され「追放」された(Photo by DMCA)

(この項つづく)

文:西澤 龍(イグナイトキャピタルパートナーズ 代表取締役)