一神教と疫病とコーポレートファイナンス Ⅲ|間違いだらけのコーポレートガバナンス(14)

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エルサレム博物館にある死海文書展示館の外観。第2次世界大戦直後にイスラエル・クムラン洞窟で壷に入った2000年以上前の「トーラー」(旧約聖書)の写本が発見された。その内容は現代に伝わるものとほぼ完全に一致しており、20世紀最大の考古学的発見の一つ(2019年筆者撮影)

前回のコラムでは、近代株式会社におけるコーポレートファイナンス(企業金融)の仕組みが、オランダ東インド会社における有限責任原則の成立によって始まったことを頭出しした。そして、同社の成立につながる大きな歴史の流れの中に、疫病(ペスト)の発生を引き金としたキリスト教徒による凄惨なユダヤ教徒迫害の存在があるという筆者の考えを述べた。

ユダヤ教の成立とキリスト教誕生前夜

いったい何のことか。多くの読者は非常な唐突感を感じるだろう。まず「一神教とは何か」という点について触れる必要がある。一神教を取り上げる際、それを筆者がどのように解釈しているのかを共有しないと、議論を始められないからだ。

 本稿における「一神教」とは、ユダヤ教とキリスト教を指す。そして、キリスト教はユダヤ教から派生した一神教だ。この2つの宗教について、筆者自身の基本的理解を共有したい。最初に断っておくと、筆者自身は特定の宗教を信仰する者ではない。また言うまでもなくこのコラムは特定の宗教を賛美または否定するものではない。

ユダヤ教の基本概念

ユダヤ教は、紀元前およそ540年頃に成立したとされる一神教である。その特徴はいくつかあるが、ここでは特に「律法主義」「メシア信仰」「選民思想」を重視する。順を追って説明したい。

律法主義とは、ユダヤ教の聖典とされる「トーラー」(キリスト教における「旧約聖書」)を、片言隻句(せっく)の変更も許されない神の言葉「成文律法」として守ることを指す。トーラーとは、いわば神とユダヤ教徒との契約を記した「法律書」であり、基本法(本則)に当たる。 

しかし、実際には抽象的、原則的な記述となっているトーラーを解釈して現実の生活に適用する必要がある。そこで、「ラビ」と呼ばれるユダヤ教社会の指導者や、律法学者を中心に、不断の解釈と注解が重ねられてきた。これを記したものが「タルムード」と呼ばれる口伝律法だ。いわば「生活規範」であり、法律でいえば、「本則」に対する「付則」や「別表」といえる。

私たちは、旧約聖書といえば、アダムとイブから始まる天地創造の物語、ノアの箱舟、出エジプトにおいてモーゼが起こした奇跡を思い浮かべる。そして、聖書を宗教画に描かれるような壮大な絵物語として捉えがちではないだろうか。だが、トーラーは「神とユダヤ教徒との契約をまとめた法律書(もしくは契約書)」と捉えた方が理解しやすい。旧約聖書の「約」とは「契約」を指す。様々な物語は、契約の根拠と内容を説明するための、事例や判例だ。

メシア信仰~救世主はいつか現れる~

「メシア」とはヘブライ語で救世主のことを指す。「油注がれる者」という意味だ。ユダヤ教では、神との契約(律法)を遵守し、正しく生きていれば、艱難辛苦を極める世界にいつかメシア(救世主)が現れ、世界を完全な平和へと導いてくれると信じる。その時には、律法を守り続けた敬虔なユダヤ教徒だけではなく、善良な他の人々も救われるとされる。 

誤解もしくは曲解されがちだが、ユダヤ教におけるメシア信仰は「ユダヤ人だけが救われる」という信仰ではない。善良なる他の人々も救われるとされる。善良な人々とは「ノアの七戒」(創世記6-9章)と呼ばれる最も基本的な戒律を守れる人を指す。ただし、偶像崇拝は禁止で、神の名前をみだりに口にすることも禁止だ。 

一方でユダヤ教徒は、ノアの七戒だけではなく「モーセの十戒」を基礎とするトーラーの教え、そして口伝律法の集大成であるタルムードを守り抜くことが救済の条件となる。ユダヤ教徒は、他の人々よりもより厳しい条件を満たさなくては救われない。とてもストイックな一神教なのだ。

選民思想

選民思想とは神が人と契約を結ぶ際に、アブラハム(ノアの子孫)を選んで契約したというトーラーの記述に基づく。神は厳しい律法を守ることを条件に、カナンの地(現在のイスラエル)をアブラハムの一族、すなわちユダヤ教徒に与え、永遠に祝福するとした。(創世記第12章) 選民思想とは、このことから、神と契約したユダヤ教徒を、神が選んだ人々だと捉える考え方である。

しかし「なぜ選ばれたのか」という理由については、慎重に理解を深める必要がある。神が最初にアブラハムを選んだ理由について、旧約聖書には「あなたがたが、どの民よりも数が多かったから選んだのではない。むしろあなた方はどの民よりも少なかった」(申命記題6章7-6)とある。 アブラハムの祖先にあたるノアが箱舟に乗る者として選ばれた理由は「その時代の中で、ノアは正しく、全き人であった」(創世記6章-9)であり、「この時代にあって私の前に正しいのはあなたと認めたからである」(創世記7章-1)とある。

神がノアやアブラハムを選んだ理由は、彼らが優れていた、もしくは特別な能力を持っていた「優等民族」だからではない。正直で真面目、つまり「律法を守れる素質がある見なされた」というのが筆者の捉え方である。

(この項つづく)

文:西澤 龍(イグナイトキャピタルパートナーズ 代表取締役)