2022年も数々の企業が、ひっそりと「退場」している。6月には自動車部品大手のマレリホールディングスが1兆1330億円もの負債を抱えて民事再生法(簡易再生)を申請し、事実上倒産するなど大型倒産もあった。ただ、記憶に残るのは負債が大きい倒産だけではない。「あの企業も倒産したのか…」と、心に沁(し)みる今年の倒産3件を紹介する。
「えっ?あのベルベが倒産したの!」と驚いた人も多かっただろう。東京都心の大手町やお台場など首都圏で「パン工房ベルベ」「ブーランジェリーベルベ」など28店舗を構え、積極出店を続けていたベルベ(神奈川県大和市)が2月8日までに横浜地方裁判所へ自己破産を申請して倒産した。
1973年の創業以来、「手作り製法にこだわり妥協しない」をモットーに、工場からの配送ではなく「1店舗1工房」で手間暇かけたパンづくりで人気を集めていた。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行が始まった2020年6月期の売上高が過去最高の約25億6000万円を記録するなど、盤石な経営体制に見えたベルベ。
だが、内情は「火の車」だったようだ。コロナ禍の長期化に伴う臨時休業や原材料価格の高騰、人件費負担増などで、積極展開が裏目に出て資金繰りが逼迫(ひっぱく)。2021年10月下旬に借入金の返済遅延や取引先に対する支払遅延が明らかになった。しかも民事再生の準備を進めようとしていた社長が書き置きを残して失踪し、2021年11月8日付で事業停止に追い込まれる。
救いは「ベルベファン」。ベルベのパン職人たちが再集結し、同じ製法でおいしいパンを復活。2022年1月に「REBELLBE(リベルベ)」の1号店を神奈川県伊勢原市でオープンした。かつてのベルベファンがリベルべの店舗に足を運び、横浜市や東京・豊洲に出店するなど復活の狼煙(のろし)を上げている。真面目な製品づくりをしていれば、たとえ倒産しても復活できる。そんな希望を抱かせる倒産と再生だった。
オーディオの名門メーカーが力尽きた。上場企業だったオンキヨーホームエンターテイメント(大阪府東大阪市)が5月13日付で、大阪地方裁判所から破産手続の開始決定を受けて倒産したのだ。
終戦翌年の1946年に松下電器産業(現・パナソニックホールディングス)出身の五代武氏が「大阪電気音響社」として創業。「オンキヨー」ブランドでスピーカーをはじめとするオーディオ機器の製造・販売を手がけ、国内オーディオ業界で頭角を現す。
1957年に東京芝浦電気(現・東芝)の資本参加を受け入れ、東芝グループに入った。しかし、1990年代に入ると音楽機器のデジタル化とバブル崩壊で赤字に転落。1993年には東芝が保有全株式を売却して資本関係を解消している。
「老舗」の多くは祖業にこだわり、主力事業の衰退と共に消えていく。しかし、オンキョーは違った。オーディオ機器だけでは安定経営は難しいと考えたオンキョーは、多角化に踏み切る。
2007年7月にTOB(株式公開買い付け)と第三者割当増資引き受けでパソコンメーカーのソーテックを買収し、同事業に参入した。AVメーカーらしく、音響性能にこだわったパソコンを開発。買収前は韓国からの輸入が主力だったが、買収後は日本国内での組み立てへ移行して品質にこだわった。
2面ディスプレーを搭載したノートパソコン「DXシリーズ デュアルディスプレイモバイル」といったユニークな製品を自社ブランドで販売するなど話題を呼んだが、パソコンの低価格競争に飲み込まれて販売が低迷。2012年1月にオンキヨーは量販店でのパソコン販売を停止、ネット直販と法人販売に特化した。しかし、販売は持ち直さず、全機種の生産を停止している。経営多角化が裏目に出た格好だ。
2010年にジャスダック市場に上場したものの、オーディオ機器市場の縮小で業績が悪化して2021年3月期には2期連続で債務超過となり上場廃止に。2022年3月には子会社のオンキヨーサウンド(大阪府東大阪市)とオンキヨーマーケティング(東京都墨田区)が自己破産を申請するなど、グループの経営環境は急速に悪化していた。
主力のホームAV事業を譲渡して、その手数料収入による事業継続を模索していたが、資金繰りが行き詰まり、事業継続を断念した。オーディオファンにとっては、また一つ名門企業が消える淋しい年となった。
「ききょう企画」(東京都渋谷区)と聞いてピンと来る人は多くないだろう。10月25日付で東京地方裁判所から特別清算の開始決定を受けた同社は、家具販売大手・大塚家具の創業家の資産管理会社で、大塚家具の株式を保有・管理していた。
創業家一族による経営権争いで大塚家具の業績が悪化すると、2019年12月には資金繰りの悪化を理由に家電量販大手ヤマダデンキ(群馬県高崎市)の子会社に。2022年5月には吸収合併され、法人としての大塚家具が消滅した。これにより大塚家具株を管理する業務がなくなり、ききょう企画は7月29日付で解散を決議して事後処理を進めていた。
企業としての大塚家具は消滅したが、「大塚家具」ブランドは生き残っている。同社のノウハウや経営資源をヤマダデンキに集約し、合併によるシームレスな営業に取り組む。
大塚家具と言えば、創業者の大塚勝久元社長と娘の久美子前社長との間で繰り広げられたプロキシーファイト(委任状争奪戦)による「お家騒動」で経営が傾いた印象が強い。しかし、現実には父親の勝久元社長時代から業績に陰りが見え始めていた。
国民所得の低迷が長期化して高級家具市場が伸び悩む一方、ニトリやIKEAなどの低価格帯の家具販売がコロナ禍にもかかわらず成長。一方、大塚家具が得意としていた高価格帯の家具も、小規模な家具工房によるこだわりのオーダーメイドが人気を集めている。
「お家騒動」がなかったとしても、大塚家具の経営が行き詰まっていた可能性が高かっただろう。ききょう企画の消滅で、大塚家具の「本流」は途絶えた。残るは大塚家具を追われた勝久元社長が設立した匠大塚(埼玉県春日部市)だけだ。
ヤマダデンキに吸収された大塚家具ブランドの店舗は11店あるが、匠大塚は4店。高級家具市場の逆風が続く中、匠大塚はダウンサイジング(規模縮小)により、かつての「大塚家具ファン」を取り込みながらニッチ市場で生き残りを図る戦略だ。大塚家具の「魂」は、まだ消えていない。
文:M&A Online編集部
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